新歩道橋1067回

2019年10月27日更新


 男の客がやたらに多い。それも多くは熟年である。女性客が居ても、ほとんどは彼らの連れ。ロビーのグッツ売り場に群がるのもほとんどが男。買い求め方が荒っぽくて、迫力まで感じる。作曲家杉本眞人、歌手名すぎもとまさとが集めた群衆だ。10月10日、用事がすんだ西麻布のスタジオから、プロデューサー佐藤尚の車で王子の北とぴあへかけつける。杉本のコンサートがそこで開かれていた。
 「おっ、来てくれたんだ!」
 シャイな杉本が相好を崩す。楽屋口から案内してくれたのも男、せまい楽屋に杉本と話し込んでいたのも複数の男。開演直前なのに妙にリラックスした雰囲気だ。
 「この間は、ごちそうさん」
 と杉本がぶっきら棒に言う。一瞬「ン?」になる僕が思い出したのは、ひと月ほど前に、行きつけの門前仲町「宇多川」で一ぱいやった件だ。六本木で秋元順子のライブを見たあと、作詞家の喜多條忠と彼を誘ったら、連れがあると言う。一緒でいいじゃないか...と乱暴に言ったら、観に来ていたファンを2人連れて来た。てっきり女性だろうと思っていたが、これも男。岩手だか青森だかの紳士で、杉本を応援する仲間が全国各地に多い気配があった。
 北とぴあの客席の男たちのノリが滅法よかった。杉本の歌に合わせて、手を振り、声を合わせて大ホールがライブハウスみたい。「銀座のトンビ」では「ワッショイ、ワッショイ」がこだまする。「いまさらジロー」では「いまさらジロー、坂上二郎、二宮金次郎...」
 と冗談の合いの手の大合唱。アイドル坊やにファンの女の子が反応するさまと、ほとんど同じ反応で、だんだん彼らがかわいく思えてくる。
 「俺も年だから、だんだんきつくなって来たけど...」
 ステージ上の杉本は古稀の70才。口の割りに精力的に動き、歌い語る。熱くなってるファンからすれば、似た世代の仲間意識や、彼を兄貴分とするリスペクト気分が強そう。杉本がスラックス、シャツにベストといういでたちなら、客席の面々も思い思いにラフな身なり、中には和服の着流しもいたりした。
 「吾亦紅」は大ヒットしたからおなじみだろうが、母親の墓前で離婚を告げる息子が、白髪はふえたけど俺、死ぬまであんたの子供...と訴える真情ソング。「冬隣」は「地球の夜更けは淋しいよ...」を決め言葉に、逝ってしまった男を偲ぶ女性が主人公。男の真似して飲む焼酎にむせながら夜空を仰ぎ「この世にわたしを置いてった。あなたを怨んで呑んでます」なんて言っている。前者はちあき哲也の詞、後者は吉田旺の詞で、作曲と歌が杉本だ。
 なぜか「死」にまつわる作品が多いが、それが象徴するように、バラード系は「杉本流情歌」である。それが歌謡曲ふう飾り言葉抜きで、率直に本音っぽい。辛い心情を彼のあの、ぶっきら棒口調と哀調のメロディーで歌うから、思いがストレートに伝わる。熟年の観客には思いあたる節も多そうで、会場がしみじみと一体化する。杉本とは長いつきあいで、彼の歌をよく聞き知っている僕でも、目頭が熱くなる。男は年を取ると涙腺がゆるむものだ。
 終演後、僕は楽屋へ寄らずに次の仕事場へ行く。佐藤プロデューサーに託した伝言は、月並みだが「よかったよ」の一言である。会えば半端な感想など口にしにくい。十分に受けた感銘を言葉にしたら、話が長くなってその場にふさわしくなかろう。心に沁みたあれこれは、一人で抱えて帰るに限る。会場から近くのJR王子駅へ、聴衆の流れの中を歩く。男たちの多くは寡黙だった。彼らはきっと、杉本の歌に触発されて、人生って奴と向き合っている。自分自身の来し方行く末に思いをめぐらせてもいようか。
 「アンコールもたけなわになっちまって...」
 と客を笑わせながら、杉本は4曲もおまけをした。ラストはおなじみの「花のように鳥のように」で、これは、
 ?限りある一生を信じて、生きることが何よりも、しあわせに近い...
 と阿久悠の詞が結ぶ。「しあわせに近い」の「近い」が曲者なのだ。
 「100パーセントのしあわせなんてないもんな。60パーでも70パーでも、それを感じた時がしあわせなんだ。それを大事にしなきゃな」
 と杉本も結んだ。これが作曲家杉本眞人と歌手すぎもとまさと(文中はややこしいので杉本で書いた)の創り出した世界である。上演2時間余、作品と歌手と彼の人柄と客が一体になって、おもしろくてやがて哀しい時間を共有するコンサート。歌社会でもきわめて稀れで、異色の充実感が一貫していた。
週刊ミュージック・リポート