新歩道橋1075回

2020年3月8日更新


 「やあ、やあ...」
 と、久しぶりのあいさつの響きには、気取りも嘘もなかった。しかし、握手に差し出した手に、一瞬の迷いがある。例の新型コロナウイルス感染を、相手はどう考えているか? ところが、
 「僕、手がつめたいんですよ」
 と人なつっこい笑顔で、夏木ゆたかはこちらの手を握った。2月27日午後、ラジオ日本のスタジオ。彼の番組に作曲家ユニット杉岡弦徳、松本明子と連れ立って、出演するひとコマ。この番組自体が、前日までは東京タワーのスタジオで、一般ファン相手に公開放送する予定だった。それが急遽、スタジオに変更される。安倍首相が大規模イベントなどの自粛を要請、大騒ぎになった余波の一つだ。まさに号令一下、スポーツも音楽も、一斉にイベントが消えた。引き続き、小中高校も休校せよの指示である。突然の決定に驚きはするが、そのこと自体に異論ははさみにくい。ウイルスの勢いは中国に端を発し日本、韓国へ侵攻、世界各国各地域に広がっている。それもどういう経路でどう伝播するのかがはっきりせず、発症数ばかりが取り上げられ、処置なしと聞けば増殖するのは不安ばかりだ。
 「ま、さほどの事ではあるまい」
 という根拠のない楽観は影をひそめ、
 「なりふり構わず、やる事はやろう!」
 などという蛮勇は出番を失う。ことがことだから、誰がどう責任を取るのか、国や政治への不信が募る。国中があきれ返る責任回避状態だ。
 2月25日、僕は明治座の川中美幸特別公演の千秋楽を迎えた。観客が大いに笑い「こういう時期にぴったり」の好評を得た一カ月だが、主催者の配慮から貸し切り公演2回分が中止になっている。大勢のファンを招待して、もしもの事があっては...の気遣いがあってのことだろう。長期公演のあとはしばらく、大てい腑抜けになる僕は、27日ラジオ日本のあと、28日から淡路島へ出かけ「阿久悠杯音楽祭」に参加するはずだったが7月に延期、そのほか二、三の行事が中止になってヤレヤレだ。骨休めのつもりだった3月のハワイ旅行も取りやめにした。わざわざ出かけて、東洋人だからと胡散臭い視線にさらされるのもたまらないし、第一、あっちもコロナ騒ぎの最中、熱でも出そうものなら病院にカン詰めにされかねない。
 何しろ発症しやすいのは70代80代の老人で、疲れ果てていたり、持病があったり...と言われれば、要素どんぴしゃりと僕は適合する。だから人混みに出るなどもってのほか、家でじっとしているのが一番と言われても困る。そういう種族ってついこの間までは「粗大ゴミ」と呼ばれていたよな...と、お仲間のTORYO Officeの臼井芳美女史に言ったら、
 「巣籠りって言うらしいですよ、近ごろは、はははは...」
 とリアクションは軽かった。ゴミが鳥や虫に変わったと言うことか!
 ところで冒頭の夏木ゆたかの件だが、昔々、彼がクラウンから歌手デビューをした時、僕はスポニチに記事を書いたそうな。そんな話をしながら、毎年5月、全日本アマチュア歌謡祭という一大カラオケ大会に、彼は司会、僕は審査委員長で顔を合わせている。
 25日にラジオ日本へ出かけたのは、杉本眞人、岡千秋、弦哲也とこの日欠席の徳久広司の苗字を一字ずつ取った杉岡弦徳作品の売り込み。四人のユニットが作曲、詞を喜多條忠、歌を松本明子が担当した歌謡組曲「恋猫~猫とあたいとあの人と」が、何しろ10分近い長さなのを「そのまんま流しましょう」と、奇特なことを言ってくれたのが夏木とこの番組制作者たちなのだ。僕はその作品で、おでん屋のおやじとして松本とやりとり、歌をつないで行く役割も果たす。
 「ねえさん、屋台の酒だぜ、そんなに飲んじゃいけないよ」
 なんてセリフで、歌が始まる段取りを、この日は生放送だ。作家3人を前にした生歌で、松本も相当に緊張気味だったが、なかなかの味。番組のおまけみたいに松本と岡が「浪花恋しぐれ」杉本が「吾亦紅」弦が「天城越え」を弾き語りで歌って、聞く僕らは昼間からいい気分になった。
 「そう言や、2曲あがったかい?」
 と、杉本に作曲依頼した秋元順子用の催促をすると、
 「ああ、こんな感じでさ」
 と、その場で杉本が歌って聞かせる。これがかなりいい感じのバラードで、一日も早く、秋元に歌わせたくなる。役者をやった後は雑文屋とプロデューサー業で、コロナ騒ぎとは言え、幸いなことに巣籠りしている暇などない。
週刊ミュージック・リポート