新歩道橋1078回

2020年4月23日更新


 「家を出たところで、コンサートも何もやってない。人には会うなというから、散歩してるよ。家からちょっと行くと海があってな...」
 しばらく会っていない松枝忠信氏に電話をしたら、相変わらず元気な声だった。もう昔話だが、彼が大阪、僕が東京のスポーツニッポン新聞社で同じ釜のめし。音楽担当記者として、絶妙のコンビぶりを発揮した。両方とも歌社会を跳梁跋扈(少し言い過ぎかな?)するネタ集めで、それを突き合わせて記事にするのが楽しくてたまらなかったものだ。
 共通点は「3密」である。今やそれは世界的にご法度だが「密閉」「密集」「密接」がネタの漁場でこちらは漁師。大きなパーティーなど、「密集」する人数分だけネタがあると踏んで、水割り片手に会場を右往左往した。料理に手を出すなど時間の無駄で愚の骨頂。会場に入る前にざる蕎麦をやるのが心得だった。ネタの当たりが来れば以後その人に「密接」し、パーティーのあと個人的に「密閉」の時間を貰ったりする。何しろ手に職がないから「人頼り」の仕事で、コツは「人たらし」だったろうか。
 コロナ禍で、人との接触を8割減らせ! の大号令がかかっている。ウイルスを拡大させないためには、巣ごもりするのが最大の闘い方と理解はしている。だから80代の老スポニチOBは珍しく従順だ。松枝はあの大震災を体験しているから、事の重大さは僕よりも深く実感しているかも知れない。しかし、現役の記者たちはこの事態をどうしのいでいるのだろう? 取材活動が不要不急のもののはずなどないとしても...。
 《「3密」なあ。俺の場合はもう一つ足して「4密」だったな...》
 と思い返す。取材相手に対するとめどない「密着」である。もっともこればかりは、それを許してくれる人に限られるからそう大勢ではない。取材をし原稿を書き、先方の才能や実績、人柄などに感じ入れば、即密着する。事あるごとにその人の側に居ると、会話が生まれネタが増え、それを原稿にする繰り返しの中で、ありがたいことに信頼関係が育つ。そのうち先方から声がかかるようになればめっけもの。こちらは滅私対応になる。
 そういう型で知遇を得た人に作曲家では吉田正、船村徹、三木たかし、作詞家では星野哲郎、阿久悠、吉岡治、もず唱平らが居り、歌手では美空ひばり、川中美幸...と続く。縁は弾んで川中は、僕を役者として彼女の一座にまで加えてくれている。相手に密着を許されたら、こちらは長期戦を覚悟する。ネタ集めを急ぐよりは、その人の過去、現在、未来に寄り添い、すべてを吸収しにかかるのだ。いずれにしろ相手は大物である。分をわきまえ、程を心得て接すれば、汲めども尽きぬ宝物に恵まれること必定となる。
 取材も芸事も同じで、万事「教わるより盗め」である。常時身辺にいることを認め、盗み放題を許してくれた船村、星野はやがて僕の「師」になった。もっとも歌づくりと取材とでは畑が違うから、先方にその気はない。ところがこちらは自分の生き方考え方にまで影響を受けているのだから、ご両所をあちこちで「師」と言いまくる。長いことそれを続けた結果、船村は
 「いつからそうなったんだい?」
 と笑いながら聞いたし、星野は、
 「それよりもな、ゴルフだけは君の師匠になりたかったんだぞ」
 と言い切った。双方ともに見事に免許皆伝ということではないか?
 70才で役者になってこの方、この道での師匠は東宝現代劇75人の会の重鎮横澤祐一である。川中一座の芝居で初めて会い、その後一、二度一緒になり、75人の会公演に誘って貰い、僕がその会員になる道筋をつけてくれた。彼が作・演出をする公演にレギュラー出演してもう10年余。けいこ場や舞台で見よう見真似、ずいぶん多くを盗み学んだ。
 「踵で芝居をしないとねえ」
 酔余ぼそりと、そんなことを言う。芝居をかかとでですか? 要領を得ないまま僕は、横澤の呪文を抱え続けることになる。その後ずっと、出を待つ舞台そでで、僕はその一言を思い返すことが習慣になっているのだ。
 僕の他流試合もよく見てくれる。出来がいいと我がことのように喜ぶが、
 「楽な芝居をしていて、どうする!」
 と、烈火の如く怒って深酒になる夜もある。どこかに「受け」を狙った邪心が見えすいたのか? 真面目に真一文字に、信じたままに行えば、客は反応するもので、余分な技は要らない。
 ああ、そういうことなんだ! と近ごろ僕は思い当たる。この国の首相が作ったアベノマスク騒ぎや星野源とネットでの共演というコメディー(!)の質についてだ。あれは自作自演なのか、相当に優秀な演出家が居ての技なのか?
週刊ミュージック・リポート