新歩道橋1081回

2020年6月27日更新


 作詞家星野哲郎は今年、没後10年になる。あのしわしわ笑顔に会えなくなって、もうそんな年月が経ったのか! と、ふと立ち止まる感慨がある。その星野の未発表作品が出て来た。徳久広司が曲をつけ西方裕之が歌った「出世灘」と「有明の宿」のカップリング。2作とも温存されて、何と33年になると言う。
 西方は1987年に「北海酔虎伝」でデビューした。佐賀県唐津市の出身。同郷の作曲家徳久に認められ、彼を頼ってこの世界に入った。いわば師弟の間柄だから当然、デビュー曲は徳久が書き、求められて星野が詞を書いた。この時星野がディレクターに渡した詞が数編あり、今作はその中の2編。徳久が改めて曲をつけて新装開店の運びになった。
 「出世灘」は「小浜」や「牛深港」「天草灘」などを詠み込んだ漁師唄。「海の詩人」星野お手のものの世界で、主人公が大漁の獲物を贈るのは母親、やきもきさせる港の娘とはまだ他人で、墓所はその海と思い定めていたりする。表現簡潔、すっきりと5行詞3コーラス、ここがこの人の曲者らしいところなのだが、特段新しさを追わないかわりに、今日聞いても全く古さなど感じさせない。
 「そこんところが凄いよな、33年も前のものだぜ...」
 担当プロデューサーの古川健仁に言えば、
 「そうでしょ、いいものはいつの時代もいいんですよね」
 と、我が意を得たりの声になる。この件は星野の長男・有近真澄紙の舟社長に事前にあいさつもしたと言う。メーカー各社のディレクターで、星野の薫陶よろしきを得た面々が、生前から「哲の会」を作っていて、古川もその一人。ずいぶん昔の話だが、ある日スタジオから彼と星野が出て来るのに鉢合わせをした。「何の吹き込み?」と聞いたら、
 「先生にいろいろ話して貰ったんです」
 と、古川が涼しい顔をした。間もなく世に出たのが西方のアルバム「星野哲郎を唄う」で、西方が星野の代表作を歌う合い間に、星野がボソボソしゃべっている。どうやらスタジオで問わず語りを録音したものを、ナレーションとして組み込んでいるのだ。そのころから古川は、思いついたらすぐ...の臆面のない実行派で、星野も彼のそんな〝懐き方〟を許していたのだろう。
 デビューの候補作だったから「出世灘」はやや若向きの詞だが、西方はその辺にこだわらずに、さらりとおとなの漁師唄に仕立てた。情緒的なのはカップリングの「有明の宿」の方。
 〽どうせ二人は有明の、海に映した月と影...
 と、許されぬ男女の道行きソングが、今の西方に似合いだったりする。
 「有近さんも喜んでくれましたよ」
 と言いながらもう一つ
 「うえだもみじさんも喜んでくれましてねえ」
 と、古川の声が明るいのは、永井裕子の20周年記念盤「そして...女」のカップリングに、彼女のデビュー曲「愛のさくら記念日」を新録音で加えたこと。実は永井をデビューから10年間、古川と組んで僕がプロデュースした縁があった。いい声味と力を持つ娘だから、デビュー曲はごあいさつがわりに明るく、キャンディーズの演歌版を狙った。面白がっていい詞を書いたのがうえだもみじで、大分前から僕と同じ葉山に住み、作詞はお休み、書道の先生をやっている。彼女にしてみれば、20年も前に手放した子が帰って来た心地かもしれない。
 記念曲の「そして...女」は池田充男の詞。
 〽この世が果てない海ならば、わたしは沖ゆくうたの舟...
 と、女の生き方と歌い手の思いを重ね合わせて、星野同様にきれいだ。作曲は師匠四方章人で、僕らと組んだ10年間はずっと彼が曲を書いた。最近は荒木とよひさ・浜圭介がいい歌を連作しているが、記念曲となればやはり四方の出番で、彼ならではのいいメロディーに力が入った気配。
 《知遇を得て星野は師匠、デビュー20周年の永井は孫みたいなものだ...》
 浅からぬ縁につながる詩人と歌手の仕事の両方に、これまた親交の長い古川プロデューサーがかかわっている。厄介なウイルスによる〝コロナ・ブルー〟の日々も、ほっこりした気分になる。星野の長男有近や仏の四方ちゃんとは、ここ3カ月は会っていないが、そのブランクも消えてしまうよう。
 永井裕子の20周年記念コンサートは、10月に延期して郷里の佐賀で凱旋イベントになる。西方裕之と岩本公水がゲストとやらで、
 「四方先生も行くし、一緒にどうです?」
 と古川に誘われて、僕はすっかりその気になっている。
週刊ミュージック・リポート