新感覚派も守旧派も、なかなかだぜ
田久保真見と幸耕平はそれぞれ、演歌を書くと"新感覚派"の趣きを持つ。歌書きとしての感覚や生理が、シャープさとリズム感に生きるのだ。そんな大月みやこの新曲に対して、三門忠司の新曲を書いた志賀大介や岡千秋は、いわば"守旧派"。こちらも歌書きとしての生まれや育ちが、そんな美意識で表れる。今月はそういう4人が2組になって、いかにもそれらしい歌を作った。新しい工夫もいいし、手練の技もいいと拍手しながら、俺は一体どっち派だろう?と自問した。
2015年7月のマンスリーニュース
2015年9月14日更新新感覚派も守旧派も、なかなかだぜ
田久保真見と幸耕平はそれぞれ、演歌を書くと"新感覚派"の趣きを持つ。歌書きとしての感覚や生理が、シャープさとリズム感に生きるのだ。そんな大月みやこの新曲に対して、三門忠司の新曲を書いた志賀大介や岡千秋は、いわば"守旧派"。こちらも歌書きとしての生まれや育ちが、そんな美意識で表れる。今月はそういう4人が2組になって、いかにもそれらしい歌を作った。新しい工夫もいいし、手練の技もいいと拍手しながら、俺は一体どっち派だろう?と自問した。
愛のかげろう
作詞:田久保真見 6月12日、船村徹の「歌供養」で、この人は前作『霧笛の宿』を歌った。二次会で「歌い過ぎだろ」と言ったら「そんなことはない」と口を尖らせる。船村は僕らのやりとりを笑って聞き流したが、あの作品は池田充男の詞、船村の曲で、表現に抑制の妙を必要とした。
一転この新曲を、大月は解き放たれたように歌い回す。肌を重ねても心は寒いままの女の孤独を書き込む詞は田久保真見。7行3コーラスに推敲のあと歴然で、気分よく乗せ、情感うねらせる曲は幸耕平。歌唱の幅を聞かせた型だが、大月は生来歌いたがりなのだ。
望郷おとこ笠
作詞:志賀大介 母という字を この手のひらに なんど書いたろ詫びたろう...という二番の歌い出し2行の詞に《ほほう》である。旅烏の母恋いは番場の忠太郎をはじめ、歌にさまざま出て来たが、これはなかなかの妙手だ。
一番、三番にも、同じ個所にそれらしい決めフレーズが並んで、作詞志賀大介はさすがの年の功。それに岡千秋がお得意の浪曲調の曲をつけて、語らせたりゆすらせたり...。
そんな二人の工夫が、三門忠司の声味と節回しを生かす。斜に構えて自嘲気味の渋い男唄。各節最後の歌声が、目線上向きでいい。
港やど
作詞:仁井谷俊也伊豆下田、これが最後とわがままを言った女の逢瀬ソング。主人公になり切って歌ったら、仕上がり重くなるのは必定だ。それをそうなりにくくしたのが水森英夫の曲と、妙に弾み加減の伊戸のりおの編曲だろう。結果西方裕之の歌は、泣かずに感情移入ほどが良く、歌い納めのフレーズなどたっぷりめで第三者目線、そういう"お話"に仕立てた。
女・なみだ酒
作詞:悠木圭子前田俊明のアレンジが、前奏からもう《おぉ、昭和テイスト!》の気分横溢だ。女の未練ごころを悠木圭子がひたひたと書いて、それをブンチャブンチャの乗りの曲にしたのが鈴木淳。女唄なのになぜか、霧島昇や殿さまキングスの顔を連想する。歌っている入山アキ子は高音部、いっぱいいっぱいの個所に艶がある声で、すっきりメロディ本位にこなしている。
こころ花
作詞:久仁京介キム・ヨンジャが2曲続く。それならきっとこちらは"わさび味"だろう...と思ったのは、久仁京介の詞が5行もの、徳久広司の曲が起承転結彼らしくなると見越してのこと。やっぱりそうだと合点するのは、歌詞4行分の、ヨンジャの切々の歌い方だ。不実な男にひかれながら咲くのは「袋小路のこころ花」で、歌い納め1行分で心開く歌唱が救いになっている。