新歩道橋1098回

2021年3月18日更新



 中村美律子の「あんずの夕陽に染まる街」を思い返しながら、葉山・森戸海岸を歩いた。花岡優平の作詞作曲。迷いつつも同窓会で帰郷した女性が、泣きたくなるほど愛しい日々を振り返る。街は夕陽に染まって、それがどうやら淡紅のあんずの花の色。心に灯るのは、あの人が好きだった純情時代のあれこれ…。
 ニューバージョンのただし書きがついていた。
 「こういう時期に似合いだから…」
 と、装いを改めての再登場か。ゆったりめの歌謡曲、どこか懐かしいメロディーに、花岡がよく書く〝愛しい日々への感慨〟が揺れる。確かにこの時期、演歌で力むよりは、こういう〝ほっこり系〟が、妙になじむ。
 《あんずなあ、季語とすれば春か…》
 昼さがりの海岸を、巣ごもり体重増対策で歩いていて、歌の季節感に行き当たった。というのも、ひょんなことからJASRACの虎ノ門句会の選者を頼まれてのこと。作詞家星野哲郎の没後10年の会で、門弟の二瓶みち子さんにやんわり持ちかけられたいきさつは、以前にこの欄に書いた。最近令和2年分から小西賞に、
 「ママの手を離れて三歩日脚伸ぶ」関聖子さん
 を選ばせてもらった。会長のいではく賞は、
 「音重ね色重ねゆく冬落葉」これも関聖子さん。
 弦哲也賞は、
 「自然薯の突き鍬錆びて父は亡き」川英雄さん。
 いわば歌書きたちの句会年間3賞で、関さんはダブル受賞、大病をされた後とかで、これで元気を取り戻されるかも…と後で聞いた。
 森戸海岸は、葉山マリーナから森戸神社まで。逗子海岸や一色海岸と比べるとこぶりだが、正面に富士山が鎮座する。ヨットやウインドーサーフィン、シーカヤックなどに、近ごろ流行りの一寸法師ふうスタンドアップパドルボードに興じる人々が点在してにぎやかだ。海岸には老夫婦の仲むつましさや犬の散歩、走る若者、娘グループの笑い声などがほど良く行き交う。
 《しかし、あれはやり過ぎだった。意あまって脱線したようなもんだったな》
 中村美律子の笑顔を15年ほど昔にさかのぼる。彼女の歌手20周年記念アルバム「野郎(おとこ)たちの詩(うた)」を作ったが、シングルカットしたのが「夜もすがら踊る石松」で、阿久悠の詞に杉本眞人の曲。和製ラップふう面白さに悪乗りして、中村の衣装をジーンズのつなぎ、大きめのハンチングベレーで踊りながら歌うと意表を衝いた。ところがそれでテレビに出したら、あまりといえばあまりの変貌に、彼女のファンまでが、
 「あんた、誰?」
 になってしまった。
 そのアルバムは阿久の石松をはじめ、吉岡治の吉良の仁吉、ちあき哲也の座頭市など、親交のある作詞家に無理難題の野郎詞を書いてもらった。中村の衣装は勢いあまっての失敗だったが、作品集自体はその年のレコード大賞の企画賞を取っている。もっともその直後に中村が東芝EMI(当時)からキングに移籍。販売期間がきわめて短く、〝幻のアルバム〟になったオマケもついた。
 森戸海岸が好きな理由はもう一つ、神社手前の赤い橋そばに、古風でいいたたずまいの掲示板がある。これが葉山俳句会専用で、毎月の句会の優秀作が掲示されている。先日その前に立っていたら妙齢のご婦人に、
 「皆さん、お上手ですよねえ」
 と同意を求められた。
 「そうですね、実にいい!」
 と、僕は笑顔を返したのだが、短冊にきれいな筆文字の一月例会分では、
 「小魚の跳ねる岬を恵方とす」矢島弥寿子さん
 が、海のそばで暮らす人の実感いきいき。またしても書くが〝こんな時期〟だからこそ、小さな生き物のエネルギーに、先行きの望みを託す気持ちに同感する。
 もう一句、胸を衝かれたのは、
 「かの山もかの川も見ず年明くる」増田しげるさんで、コロナ禍自粛のままの越年なのか、もしかすると…と、まだ見も知らぬ詠み人の体調まで少し気になったのは句の静かさのせい。
 神社から海岸通りへ戻り、御用邸方角へ少し歩くと真名瀬(しんなせ)という漁港がある。こちらもこぶりで遊漁船が四、五隻、未明から昼ごろまでに出たり戻ったり。小さな舟の二、三隻は漁師の仕事用か。僕が散歩する時刻には、みんな一仕事終え人影もない。それを見回して、
 《ふつつかながら俺も一発いってみるか…》
 とその気になって一句ひねった。
 「漁港のどか、マストに鴉こざかしげ」
 別に鴉にふくむところがあるわけではない。すいっと横切ったカモメを目で追うさまがそう見えただけのことだ。