林あまりと満月を見た!

2021年5月1日更新


殻を打ち破れ230回


 2021年2月27日(土)午後4時30分、所は東京・明治座の1階席正面11列25番に、僕は居た。そこから左へ3席ほど空いて、林あまりが居る。歌人で演劇評論家、大学の先生で敬虔なクリスチャンという才媛。30年近いつきあいの僕らが、並んで向き合った舞台は「坂本冬美芸能生活35周年記念公演」で泉ピン子が友情出演する。

 「しかし、お前さんと並んであれを聞くことになろうとはな…」

 「そうですね。あれからもう27年も経ちますし…」

 これ、芝居ではなく、客席での僕らのやりとりである。昔々の1994年、僕がプロデューサーで彼女が作詞家、三木たかしと一緒に作ったのが『夜桜お七』で、冬美は第二部のショーのおしまいに、これを歌うことになっている。ま、それは見てのお楽しみということにして…。

 第一部は人情喜劇「かたき同志」(橋田壽賀子作、石井ふく子演出)である。幕が上がると舞台を橋が横切っていて、その上を人々が行き交う。問題提起するのは若いカップルの丹羽貞仁と京野ことみ。相思相愛なのだが、橋をはさんであちらとこちら、丹羽は大店の呉服屋の若旦那、京野は居酒屋の娘で身分が違って許されぬ仲。双方、今夜あたりに二人の決意を親に伝える約束をする。

 そこへ息子や娘を探して登場するのが二人の母親で、呉服屋の女あるじ坂本冬美は、ひきずる着物の裾をさばいて、やたら上品な奥方ふう。他方の泉ピン子は酔いどれ客をさばく下町居酒屋の女将で、気っ風のよさ丸出しだ。

 筋書きを知らぬまま見れば、時代劇版ロミオとジュリエットに勘違いしそう。ところが本題は母一人子一人2組の母が、意にそぐわぬ我が子にいらだって「かたき同志」になるお話。ピン子が冬美の大店へ乗り込んだり、冬美がピン子の店へ敵情視察に現われたりの、角突き合いが丁々発止。ついにはお互いに身の不運を嘆き、無念を共有するにいたる。

 小気味いい演出に、泣き笑いの客席を沸かすのは、年増2人が泥酔する大詰め。わが子の祝言なんかより、女ひとりの老後に思い当たり、思いのたけをぶつけ合い、飲めや歌えの自棄っぱち大騒ぎ。そのあげくピン子は酔いつぶれ、冬美は仁王立ちで天を仰ぐ。2人の最後のセリフは、

 「ひとりぼっちは、淋しいよねェ…」

 でチョン! だ。

 ≪いいよなあ、恵まれてるよ。冬美は…≫

 僕の感慨は個人的になる。2年前の6月、冬美・ピン子はこの劇場で「恋桜-いま花明かり-」をやった。同じ月、大阪・新歌舞伎座は松平健・川中美幸特別公演「いくじなし」で、双方石井ふく子演出。僕はこちらに、ご町内世話役の甚吉で出演した。大物演出家石井とは、記者時代に面識はあったが、役者に身分を変えてからは初対面。大いに緊張したが、それなりに一生懸命だった。

 それが今回は、冬美が再び石井演出で生き生きとし、僕は音楽評論家に逆戻り「冬美の“進化”と“深化”」なんて能書きをパンフレットに書いたに止まる。石井演出でまた演りたい! 恥ずかしながら年甲斐もなく、役者のやっかみが先に立つのだ。

 さて、ショーの大詰めの『夜桜お七』だが、歌う前に冬美は客席の僕ら2人の名前を連呼、4半世紀越えの謝辞とした。身にあまる光栄である。冬美は少し肉厚になった歌声、年輪なりの歌唱の深彫りで、お七を往時よりグッと艶っぽくしていた――。

 「あら、いい月が出ている!」

 一緒に劇場を出たら、林あまりが空を見上げて芝居のセリフみたいに一言。終演が午後7時35分である。非常事態宣言下では、行きつけの店はみな8時閉店する。やむなく僕らは冬美とまん丸の月に別れて、素面のままそれぞれのねぐらへ帰る電車に乗った。