殻を打ち破れ238回
田川寿美が『ひばりの佐渡情話』をギターの弾き語りで歌う。それに“つれ弾き”の形でつき合ったゲストのギタリスト斉藤功が、
「古い知り合いだもんね。セーラー服でスタジオ入りしたころからだから…」
と笑顔で感慨を添えた。
「そうよね、そうだ、うん、ふっふっふっ…」
田川本人の相づちは、まるで仕事場の隅の世間話みたいに、早口で飾り気がない。彼女のデビュー30周年記念コンサートの舞台上なのだが――。
11月1日、渋谷区文化総合センター大和田さくらホールで、僕が案内してもらった席は1階14列21。中央右側やや後方で、客席が広く見降ろせる。開演17時に少々早めについて、所在なくあたりを見回して気がついた。この期におよんで何と、読書する紳士が2人、カラーのイラスト集をめくる御仁が1人。演歌歌手の客席では、まず見かけないケースだ。改めて視線をもうひとめぐり。帽子が目立つのは熟年男性の数の多さだ。
≪そうか、田川はこういうファン層の支持を受けているのだ!≫
と、僕は合点した。
『女…ひとり旅』でデビューした初期は『哀愁港』『北海岸』『女の舟唄』などの曲名が目立った。いわば“演歌の本道狙い”。しかし、コンサートには『一期一会』『心模様』『倖せさがし』『楓』『雨あがり』などが並ぶ。15才で和歌山から上京、16才でデビューした彼女の“その後の心模様”が見てとれる曲目。演歌の定番から、彼女なりの色あいの作品を求めた結果だろう。
そんな彼女の歌手生活の途中、所属する長良プロダクションの先代社長長良じゅん氏に聞かれたことがある。
「芸名が地味だからパッとしないのかな? 改名も考えてるんだ。相撲とりだって四股名を変えて出世するケースもあるし…」
当時から田川は、そこそこ売れていたのに、長良社長の夢はもっと大きかったのだろう。作品は良い、コロムビアも力を入れている。事務所だって大手で影響力に相応の自負もある…。
「成長するごとに名前が変わる魚はいるけど、どんなもんですかねぇ…」
と、僕は冗談で長良社長の迷いをはぐらかした。
その田川が突然変身した。作家五木寛之の作詞と肝入りで『女人高野』である。まるでロックの曲想とけばけば衣装で、エレキギターを小脇に抱えたイメチェン。
「いいねぇ、面白いじゃないか!」
と僕は悪ノリしたが
「長良社長が、本人をあんまりそそのかして欲しくないよな…って言ってましたよ」
と、コロムビアあたりから小声の電話が届いたものだ。
その『女人高野』もコンサートの中盤に、黒の打掛け姿で歌ったが、今になってみれば特段刺激的にも聞こえない。時代や流行歌の流れの変化があろうし、彼女自身も作品をすっかり体になじませていた気配…。
「いろんな人との出会いがあって、幸せでしたよ。ありがとうとごめんなさいを繰り返して来たけど、ハッハッハッ…」
「大先輩たちが活躍していて、後輩たちも元気、私は中間管理職みたいな立場、ふっふっふ…」
田川は理屈をこねて関係者を悩ませた20代と、それやこれやで手にした現状をそう話した。瓜ざね顔に秀でたおでこを丸出し、歌は声も節も誇らずに、トークは社交辞令ぬきの本音っぽさ。田川寿美は今そんなふうに“おとなの歌手”としての居場所を獲得し、ファンは彼女のたたずまいに、聡明な生き方を見ているのだろう。コンサートは長良プロ二代目の神林義弘社長が陣頭指揮した。残念なことに先代社長は、ハワイで客死したが田川のこのごろにすっかり安堵していることだろう。