髙瀬一郎の『望郷歌』は船村作品の典型だ!

2022年10月30日更新


殻を打ち破れ248回

 便りが来たのにリアクションを先延ばしにしたら、ひどく心配した友人がいる。音楽プロデューサー境弘邦。これがなぜか遠回しに、別の友人に質した。

 「あんたはしょっ中彼と連絡を取ってんだろ? 音沙汰ないけど元気なのか? 年が年だからな。何事もなければいいが…」

 そう言ってるよ…と、彼の気づかいが中継された。境と僕は同い年、基礎疾患アリの要注意高齢者同志である。自分のことはタナに上げて…と、苦笑しながら電話を入れた。

 「ごめん、ごめん、人なみにコロナに感染してな、一週間、新橋の慈恵に入院してた。いや、症状は軽めだったから、もう心配ないよ」――。

 彼から届いていたのは、演歌のテスト盤だった。

 「古いヤツと言われるのを承知で、こんなものを作ってみました。酒のお供に聴いてみて下さい」

 なんて手紙つき。『望郷歌』という4行詞もので、作詞荒木とよひさ、作曲船村徹、編曲伊戸のりお、歌唱髙瀬一郎とある。なに? 作曲が船村徹? もしかして旧作のカバーか? それとも貴重なストックものか? 船村は亡くなってもう、来年が七回忌だぞ!

境はこの作品を3人の知人に届けたと言う。そのうち2人からは即反応があったのに、残る1人の僕はナシのつぶて。感想を待つ身ならそりゃあ、イライラもしたろう。

 聴いて驚いた。決定的な船村メロディーなのだ。今や古典的なくらいの4行詞ものの、どこを切り取っても彼のメロディー。独特のフレーズが見事な起承転結を作って、息づかいまで聞こえる。そのうえ展開がドラマチック。とかく4行詞ものは、小さめにまとまりがちだが、その短かさの中でこの作品は、剛胆なくらいにサビの高揚を決めた。繊細にして大胆、大を成したこの人の典型的な作品ではないか!

 境がコロムビアの制作責任者だったころ、都はるみ用に依頼したもののストックだという。歌う髙瀬もそのころデビューさせた人で、鹿児島エンパイヤ―の出身。そう聞けば、そこそこの年だろうに、船村作品におもねることなく、率直に若めの声を張る。そのシンプルさがまた何とも言えない。

 荒木の詞は、当時のままと言う。一番に「母恋い」二番に「心に鳴る汽笛」三番に「帰郷の思い」をテーマに据えて、過不足なく表現きりっとしている。そうだな、船村も荒木も人後に落ちぬマザコン。男は多くがそうで僕も同類だが「望郷」の発端はどうしても「母」になるか。

 ふと胸を衝かれるのは三番である。

 ♪溜め息よ いつか帰ろう 人生の 旅の終わりに…

 というフレーズに導かれて、行く先は瞳に浮かぶ「幼い日」になる。出発点が「星空が見えぬ街も」というあたりが荒木の若さだが、望郷のしみじみは作家の年齢差を超えるものか? 僕が54年間も密着取材を許された船村は、晩年にその思いを深くする気配があった。戦後の焼け跡で志を得ぬまま、不埒な青春を戦った歌書きが、異端からスタート、やがて歌謡曲の王道を極めて文化勲章である。それが最終的に書きたがったのは「水墨画みたいな作品」だった。功なり名遂げた後の「枯淡」ではなく、そういう静謐な世界に、彼なりの熱い息吹きや祈りを書き込みたかったらしい。

 スポーツニッポン新聞の記者だったころ、雲の上の人だった船村は、亡くなった時は4歳年上でしかなかった。それが今では、僕はもう彼の享年を越えてしまった。遅ればせに聴いた境作品『望郷歌』に触発されて書いたあれこれである。

 ン? 「ブレイン・フォッグ」だと? 『夜霧のブルース』はよく歌うが、コロナ後遺症で脳に霧がかかるのは勘弁だ。まさかこれが認知症の兆しなんかじゃあるまいな…。