殻を打ち破れ252回
≪そうか、年齢が年齢だものな。長いこと得意にして来た“張り歌”から穏やかめの“語り歌”に移行する気配がある…≫
友人の新田晃也から届いた新曲を聴いてニヤニヤする。『旅の灯り』と『さすらい雲』の2曲。ここ何曲か作詞家石原信一のものが続いていたが、今作は本人の作詞、作曲。もともと演歌のシンガー・ソングライターだった往時へ戻っての、ひと勝負ということか。
昔々、春日八郎の楽屋で会った。バーブ佐竹のそばに居たこともある。紹介される都度「おう」とか「よろしくな」とか言って、だんだん親しくなった。阿久悠が作詞をはじめた初期、全国の港町を回って歌を作り、本人のナレーションでつないだアルバム『わが心の港町』を出したが、その全曲を歌ったのもこの男。演出家の久世光彦らが気に入って、本格的な歌手活動をすすめたが
「いまさら、一から苦労する気なんかありませんよ」
と、にべもなかった。そのころ彼は銀座で名うての弾き語りになっていて、大層なギャラを手にしていたようだ。
福島・伊達の出身。芸名と同じ地名が近所にあって“晃也”は“荒野”だったか? 集団就職列車で東京に出て、しばらくは真面目に働いたが、夢を捨て切れずにこの道に入った。
「ま、口べらしですよ。あのころはよくあった話で…」
上京の理由をボソッと言ったことがあるが、自作自演の作品には望郷ソングと母をしのぶ歌が目立つ。プロになることを嫌った男が、プロになれたのは時代の変化、フォーク勢と似た発想の演歌系で、誰の世話にもならず、気ままにマイ・ペースが保てる。そんな身分を選んだのはきっと、歌謡界の入り口で嫌な体験をしたせいだろう。昔々、この世界の底辺にはやくざも詐欺師もそれまがいも、大勢居たものだ。
ところで新田の新曲だが『旅の灯り』は失意の女性が主人公に聞える。それとははっきり歌っていないが、「添えぬ運命」だの宿の湯にうつる「涙の素顔」だのがそれらしい。声をおさえめに語る風情だが、よく響く声にふとフランク永井を連想する。『さすらい雲』は馬鹿を承知で裏町暮らしの男が主人公。彼や僕らの年代は哀愁ものの泣き歌が基本だ。昭和に入って間もなくから日本は戦争つづきで、庶民は苦しい生活を強いられた。そんな嘆きが流行歌に託されて来たせいか。
そういう意味ではレコード大賞も紅白歌合戦も脱演歌、年寄りにはなじみの薄い曲が並んだ。それが今日このごろの流行の波頭ならそれを中心にするのはもっともな話。しかし流行歌は年代別に分断し、若い層の支持は細分化して久しい。世代を縦断する大ヒットが生まれない時代、それはそれで戦後このかた世の中平和に過ごせた証だろう。
しかし、分断化、細分化が進んだ現状を反映するだけでは、大型番組の視聴率は稼げない。レコ大が過去の受賞者シーンを多用するのはそのせいだろうし、紅白にいたってはポップス系ナツメロの特集が目立った。「特別企画」としてはさみ込んだ加山雄三、松任谷由実、安全地帯、時代遅れのRock'n'Roll Bandの桑田佳祐、佐野元春、世良公則、Char、野口五郎などがそれで、視聴率が尻上がりになっている。
演歌系ナツメロは、彼らよりまたずっとさかのぼる年長組で、BSテレ東が歌手協会イベントを12時間ぶっ続けで放送した怪挙!? で明白になった。何十年ぶりかで白根一男を見たが、昭和40年代のはじめごろ、銀座で飲んでいて不埒な連中に「何か歌え」とからまれ、僕が代わりに『次男坊鴉』を歌って難を逃れた事を思い出した。僕ら二人は同い年だった。