居酒屋は僕の、大事な仕事場だった!

2023年4月1日更新


殻を打ち破れ253回

 大通りから階段を降りた地下1階、右手にあった引き戸を開けた。居酒屋の賑いそこそこの雰囲気はいい。しかし、L字のカウンター席の内側で、包丁を使っていた親父が、こちらへちらっとあげた視線をそのまま、料理に戻した。無愛想な“大将”の反応に

 ≪いかんな、これは俺好みの店じゃない…≫

 と帰りかけたら、

 「いらっしゃい、どうぞ」

 女将らしい老女の、暖かめの太い声がかかった。ふっくらと下ぶくれの顔が、仏さんみたいに柔和な笑みを浮かべている。ふっとそれに誘われてのれんをくぐる。大阪・新歌舞伎座近くの「久六」という店だが、そんな一見の客の僕は、その月のうちに常連の一人になった。

 僕はよく一人で店探しをするが、この夜も予感は的中した。愛想のない大将も腕は確かで料理は美味。おっとりふんわりの女将の対応は春風駘蕩の趣き、客は地元の人ばかりで、それも好都合だった。レギュラーで出ている川中美幸一座の大阪公演は、せりふがいつも関西弁で、慣れない僕は公演の一ヵ月、店中の土地訛りに囲まれ、独特のイントネーションを肌で覚えようとしたのだ。

 その「久六」が昨年暮れに閉店、今年2月中にやはり新歌舞伎座そばにまた店を開くという。10年以上通いつめた店だから、連絡は密である。川中公演の予定はまだないが、開店祝いには出かけたいものだと思う。それにしてもここ数年、あちこちで展開された「再開発、立ち退き」という奴は、なんとも癪にさわる。店をやめさせ、更地にしておきながらそのまま。コロナ禍に物価高騰のせいもあろうが、店は存亡の危機に直面するし、常連の僕らは路頭に迷うのだ。

 行きつけの月島のもんじゃや「むかい」も今年1月いっぱいで店を閉めた。もともと銀座5丁目にあった小料理屋「いしかわ五右衛門」が、移転して商売替えをしたところ。前回も今回も理由は同じ「再開発」である。大将が体調を崩していて女将も年だから、3軒めはナシで廃業するという。銀座店から月島店にかけて40年余のつき合いだから、小西会の面々と店じまいパーティーを開いた。銀座の時もやったから、物好きな話だが、2度続けた納め会である。

 僕の店選びのポイントは①大将の腕がいいこと②気のいい女将の応待がいいこと③カラオケその他音楽がないこと。取材や打合わせのあれこれ、親交の相手などと、おいしいものを少々食べ、じっくり話が出来る必要がある。その条件が揃うと僕は徹底的に通いつめる。

 銀座の店には作詞家吉岡治夫妻がよく来た。月島には作曲家の弦哲也、四方章人、編曲の南郷達也らと組む仲町会の面々と宴会をやった。小西会には亡くなった作詞家の喜多條忠や、美空ひばりの息子加藤和也と有香夫人なども加わっている。

 ≪そう言えば…≫

 で思い出すのだが「いしかわ五右衛門」以前は赤坂の「英家(はなや)」や「あずさ」を根域にした。英家には作詞家阿久悠や作曲家三木たかしらを伴い、あずさではロックの内田裕也、作詞家のちあき哲也らと飲み、歌人の林あまりと『夜桜お七』の下ごしらえをした。

 居酒屋には恩があるのだ。その時期ごとに、有力な知人や親密な友人たちと、僕はそこで多くの仕事をした。僕の居酒屋遍歴はそのまま貴重な才能の持ち主たちとの縁を示している。条件が条件だから、みな少々値が張る店だったが、昨今、そんな好条件の店が少なくなっているのも、もうひとつの癪のタネである。