君は寿美若の『舟唄やんれ』を聴いたか?

2010年10月30日更新


殻を打ち破れ 第106回

 

 堀江の新地は女町、あだな島田に赤い着物(べべ)着た女が一人、横ずわりして細い首筋を客席に見せている。背後には泥絵具で書いた露地裏の書き割り――そんな大衆演劇の一コマみたいな情景が、くっきりと目に浮かんだ。河内のベテラン音頭取り・鳴門家寿美若が歌う『舟唄やんれ』を聞いてのことだ。
 この作品、もず唱平の詞、三山敏の曲で、成世昌平のアルバムに入っていた。泣いて苦界に身を沈めた娘と、その噂に耳をふさいで泣く若い衆のおはなし。
 ♪千鳥 よしきり 揚げひばり 啼け啼け 春が逝かぬうち…
 なんて歌い出しの、もずお得意の世界が展開する。
 初めて聞く名前だが、寿美若は63才で、今年が河内音頭生活40周年とか。ご当地では名の通った“櫓の上の達人”なのだろう。それが記念CDを作ろうと、もずに相談を持ちかける。ものが成世の持ち歌だから、恐る恐るだったがもずは快諾した。もともとこの歌は、寿美若が歌い続ける『ヤンレー節』をモチーフに作った縁があった。
 成世の『舟唄やんれ』に感じるのは「覇気」である。古風な恋の顚末でも、彼の声の若さや張りが、どこかに晴れ間を作る。一方、寿美若のこの歌は「慈味」が濃いめになる。よく練れた地声が人肌のくぐもりで、歌う語尾の揺れ方に、はかなげな情感が漂う。わびさびにも通じる匂いがあって、なるほどこの人、この曲を歌いたがるはずだ!と合点がいく。
 「それはそれとして…」
 と、もずが提案した。寿美若の『ヤンレー節』は八尾市植松地区に伝わる郷土民謡。もともと歌詞も楽譜もなく、寿美若の歌声だけで伝えられて来た。少年時代からののど自慢あらし、演歌歌手志願だった彼が、この歌にとり憑かれての櫓ぐらしを40周年まで頑張った。この際この歌は記録に残すべきだというのが、もずの考えだった。
 哀愁の『ヤンレー節』の新装再開店である。三山が採譜をし、もずが改めて歌詞をつけて『寿美若のヤンレー節』が生まれた。音頭ものとしては珍しくマイナーの曲がゆったりめで、哀調を帯びる。歌い込むもずの詞には楠正成や八尾の朝吉、十人斬りの弥五郎、熊太郎など、ご当地おなじみの人物が登場する。
 「伝承民謡は時代によって形が変わる。ヤンレー節はこういう形で後世に残ることになった」
 と、その固定化と普及に胸を張るのは、大阪芸術大の教授でもあるもずの、もう一つの彼らしさ。
 「望外の幸せ、この歌を日本中に広めます」
 と、寿美若は、何がなんでも…の力こぶを作る。
 そのせいかCDのメイン扱いはこちらになったが、僕はとめどなくカップリングの『舟唄やんれ』に魅了される。それと同時に、成世昌平、鳴門家寿美若という名うての男たち2人に愛される、この楽曲の生命力の強さにも感じ入る。近ごろの歌社会には年に1人くらい、熟年の芸達者が脚光を浴びる傾向がある。寿美若がその何人めかになる! と力み返ったら、僕の悪ノリは度が過ぎようか?

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