島津亜矢の熟成・阿久悠の作品力

2011年9月5日更新


殻を打ち破れ116回


 8月1日、阿久悠の4回目の命日が来る。
≪あの夏も暑かった…≫
僕は2007年のあの日を思い出す。遺体が安置された伊豆の自宅、山々に緑が色濃く、蝉しぐれの中に時折、うぐいすの鳴き声が混じっていた。
≪今年もあちこちで、高校野球の地方大会が始まっている…≫
そんなことも思い浮かべる。二人が意気投合、スポーツニッポン新聞に連載した「阿久悠の甲子園の詩」は、27年間にわたる超大河企画になった。彼は毎年、甲子園の48試合の一投一打を熟視して、一日一編の青春讃歌を書いた。僕がプロデュースした八代亜紀の『雨の慕情』は“冷夏”が味方したがあれは例外で、僕らの夏はずっと、まばゆい陽光に満ち溢れていた――。
♪想い出よありがとう 時が過ぎ 懐しさだけが 胸の扉を叩きに 今日もまた訪れて来る…
阿久が亡くなって4年後のこの夏、胸を衝かれる歌に出会った。彼の詞に都志見隆が曲をつけ、島津亜矢が歌った新作『想い出よありがとう』。達観したような別離がしみじみと語られていて、聴きようによってこれは、彼のラストソングではないか!
尿管がんにやられて、享年70才。最後の3週間など点滴と酸素吸入が頼りの闘病だった。それでも彼は、スポニチにエッセー「阿久悠の昭和ジュークボックス」を連載、前月22日付が絶筆になる。第一部終了、秋には第二部スタートにしようよ…という、こちらの提案を受け“休筆”に同意してのこと。そんなにまで戦い抜いた男が、こんなに穏やかな歌を書いている。一体いつ、どんな思いで彼は筆をとったのか?
この作品は島津のアルバム『悠悠~阿久悠さんに褒められたくて』に収められている。『恋慕海峡』『運命』『わたしの乙女坂』『旅愁』『麗人抄』など、10曲すべてが阿久の遺作である。没後に残された作品が世に出るのは、ままあるケースだが、それだけでアルバムが出来るあたりが、いかにも阿久らしい。未発表作品が100編を超えると聞けば、この旺盛さもまさに“怪物”
 ≪凄いもんだ…≫
 と、改めて感じ入る。作曲は浜圭介、弦哲也、杉本眞人、鈴木キサブロー、永井龍雲、金田一郎と都志見が腕によりをかけ、弦の息子田村武也が若者らしいセンスで参加している。彼らには一様に、阿久の詞に触発された気配が濃いうえに、このアルバムで島津は、めざましい進境を示している。死してなお強烈な、阿久の作品力と言えようか。
 島津が師と慕い、父と仰いだ作詞家は星野哲郎で、ヒット曲の多くは彼の作品。彼と阿久は互いに敬意を払った歌書きの同志だったが、島津と阿久の顔合わせは今回が初めてである。それだけに島津にとっては懸命の仕事になり、その真情がそのまま、アルバムタイトルになった。
 「いいじゃないか!」「なかなかに!」
 昨年11月15日に亡くなった星野は、どこかで阿久に会い、ひとかわむけた島津に、見合わせた目を細めているかも知れない。
 

月刊ソングブック