"元祖"木下結子の「誉れ」と「重荷」

2011年7月30日更新


殻を打ち破れ115回


 「2曲も、世の中に知られた作品を持つ。大きな財産だよな」
 と話しかけたら、一瞬、嬉しそうに笑った木下結子が、
 「でも…」
 と口ごもった。『ノラ』と『放されて』の創唱者なのだが、作品がファンから愛されているわりに、彼女の知名度は上がっていない。そのギャップが彼女には、重い荷物になっているらしい。
 「だから、これを歌う時は、今でもすごく緊張するんです。お客さんに“なあんだ…”って思われたくないから」
 2曲とも、門倉有希がカバーしてヒットした。ファンの多くは、もともと門倉の持ち唄だと思っている。しわがれ声と独特のフィーリングの個性派。ここで木下は、思いがけないライバルを持つことになった。ごく少数派だが中には木下が元祖と知る“通”もいる。木下は二種類の聴き手を、自分の色で納得させなければならない。
 27年前の昭和58年、彼女は『放されて』でデビューした。作詞吉田旺、作曲徳久広司で、ディレクターは中村一好。地道にキャンペーンに励んだが、反応はいまひとつだった。3年後に『純兵恋唄』を出す。腕きき制作者の中村は、東大安田講堂占拠組の闘士。戦闘的な歌づくりが身上で『純兵…』の原題は「テロルの決算」―沢木耕太郎のノンフィクションがモチーフだった。これも不発で『ノラ』が世に出るのは、デビューから5年後になる。作詞はちあき哲也、作曲はこれも徳久。
 昭和58年は「ロッキード裁判」「東京ディズニーランド開園」の年。以後「ロス疑惑」「阪神、21年ぶりセ制覇」「地価高騰、バブルへ」と世相がわき返る。松田聖子、中森明菜、おニャン子クラブ、安全地帯、近藤真彦らの人気の陰で、木下の孤独な嘆き歌は埋没した。やがて制作者中村は、公私ともにパートナーだった都はるみを追って、コロムビアを去る。木下は歌づくりの指導者にも、はぐれた―。
 皮肉なめぐりあわせが、もう一度来る。バブルがはじけて日本は、長い下り坂の時期に入った。「あれは異常だった」「右肩上がりの暮らしは、もう戻らない」「もともと、これが当たり前だったんだ」…などとボヤキながら、庶民は低迷、先行き不透明な日々をやり過ごそうとする。そんな中で『ノラ』や『放されて』を見直したのはカラオケ・ファンである。巷の歌好きたちが2曲を“隠れた名曲”に育てた。それを掘り起こしたのが門倉とそのスタッフだった。
 6月、木下と僕は名古屋御園座の「恋文・星野哲郎物語」で一緒になった。星野(辰巳琢郎)と朱實さん(かとうかず子)の夫婦愛物語。木下はクラブの歌手、僕は星野のお尻を叩くプロデューサー役で、劇中木下は『アンコ椿は恋の花』と『叱らないで』を歌った。
 ≪財産の2曲を大切にな、めげずに唄って行こうよ。巷には、あんたの魅力を愛するファンが、必ず居るんだからさ…≫
 クラブの隅で彼女の年輪の歌を聴きながら、僕はドラマと現実が、ごっちゃになる気分の日々を過ごした。

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