殻を打ち破れ124回
林あさ美が涙ぐんだ。渋谷・松涛の有線放送スタジオの午後。彼女と僕はその日、ゲストでやって来る日野美歌の『桜空』と『花吹雪』を聴いていた。
♪舞い上がれ花びらよ あなたに届く様に 悲しみはいつの日か 生きる勇気になるよ…
弦楽器が裾野を作り、時おりピアノが鮮やかにひるがえるオケをバックに、日野の歌声はひたひたと一途だ。
僕らは有線放送の「昭和チャンネル」で、懐かしい歌のあれこれを取り上げながら、おしゃべりをしている。僕が年齢もキャリアも長い分だけ、知ったかぶりを披瀝するのに、あさ美が面白がって相槌をうつ趣向。毎週月曜日に5時間近くぶっつづけという代物を、もう5年もやっているが、彼女が歌を聞いて泣いたのは初めてのことだ。
「お前も、純なところがあるなぁ…」
などと冷やかしているところへ日野が登場した。『桜空』は今年春前に発売したシングルで『花吹雪』は2年ほど前に出したものの好評カップリング。歌凛というペンネームで作詞・作曲をするシンガーソングライターだ。『氷雨』が大ヒット「紅白歌合戦」にも出たのが29年前で、今年はデビュー30周年に当たると言う。
≪演歌で当たったけど、もともとやりたかったのはJポップ系のこの路線で、そこへ戻っていたのか?≫
と思ったが、違った。
「だんだん仕事が減って、CDも出してもらえなくなった。あたふたしてたら9年くらい前に、作曲家の馬飼野康二先生に、詞を書いてみなよとすすめられて…。嫌だぁ、そんなの恥ずかしくて…って言ってたんだけど…」
どうやら“初志貫徹”ではなく“一念発起”の活路探しがきっかけだったらしい。
「美歌」は、親がつけてくれた本名。それが「花凛」を名乗り、個人事務所「桜カフェ」を起こし、インディーズ「Sakura Cafe Music」を拠点に活動。このたびめでたくコロムビアからメジャー再デビューの運びとなった。はたから見れば一度ドカンと売れた歌手が、忘れられた存在になっての試行錯誤である。ところが顔つきにも口ぶりにも、悪戦苦闘のかげりはない。
「なぜそんなに、桜にこだわるの?」
の問いに、答えは、
「生き方と重ね合わせるのかなぁ…」
「失った人への呼びかけは、東日本大震災も考え合わせてのもの?」
の問いに、
「だって、あのことがどうしても、心から離れなくなっていて…」
と、作為も便乗する気もなかった答えが戻った。
「美」「歌」「凛」「桜」…。本名に託された両親の夢を引き継いで、この人は世の中のきれいなもの、信じられるもの、貴いもの、潔よいものを語っていこうとするのかも知れない。
「お邪魔しましたァ!」
歌よりは少し下世話な熟女ぶりで、日野はスタジオを一足先に出た。屈託のない明るさの、親密な空気が後に残った。