「すっぴんの歌ごころ」かねェ

2012年7月10日更新


殻を打ち破れ125回

 作詞家の田久保真見とは、一度だけ飲んだことがある。確かキム・ヨンジャの新曲発表会のあとで、田久保の詞に曲をつけた田尾将実が一緒だった。僕は彼女のあどけないくらいハイトーンの話し声と、グイグイいく飲みっぷりの良さに「いいぞ、いいぞ…」になって、少々深酒をした。

 場面が変わる。次の相手はあさみちゆきで、

 「相当な飲んべえだぜ、敵さんは。あんな顔して、あんな声して、な!」

 無遠慮に田久保の噂をしたら

 「そうです。そうです」

 といいノリで、顔をくしゃくしゃにして笑った。飾り気がないと書くと月なみだが、普段着の笑顔、すっぴんの気安さ…。

 ≪ふむ。この好感度がこの人の宝か≫

 と、合点がいった。

 定年おじさんのアイドルである。コンサート会場には、ベースボールキャップやハンチングなど、帽子をかぶった紳士がやたらに多い。あさみが井の頭公園で歌いはじめ、やがてそこの歌姫と呼ばれるまでの道のりで、“お仲間”として集めたファン。もっともおじさんたちは、自分が見つけ、その後を見守って来た娘か、孫みたいに思っているかも知れない。

 「手紙を届けるような気持ちで歌って欲しい」

 阿久悠が生前、彼女にそう言ったそうな。ヒット曲『青春のたまり場』をはじめ、アルバム一枚分の詞を渡した時のこと。この作品群がもしかすると、彼女の歌手としての立ち位置を決定的にしたかも知れない。歌に具体的な“場面”を設定、失った青春への回想、回帰をテーマにした。おそらくは団塊世代であろう“定年おじさん”たちの胸に、それがストレートに伝わる。

 ≪手紙ねぇ、阿久さんもうまいことを言ったものだ…≫

 僕は二つめの合点をする。そういう歌唱法には、余分な感情移入や、演歌的な技術は要らない。素直に率直に、思いを伝えようとする誠意が歌の芯になる。あさみはそれに似合いの声味を持っていた。彼女を見出し育てた松下章一プロデューサーの言う「温もり、哀愁、表情、いくつもの色…がにじむ声。」地味だが得難い魅力だ。

 高校時代に「NHKのど自慢」の山口県大和町大会で鐘を鳴らし、チャンピオン大会に出た。NAKの「日本アマチュア歌謡祭」にも出たが、どこからも声はかからなかった。高校を卒業、歌手になろうと上京する。盛り場のストリート・ミュージシャンたちを見て、彼女なりの“場”を探し、井の頭公園に決める。ラジカセのカラオケをバックに、歌ったのは『圭子の夢は夜ひらく』や『アカシアの雨が止む時』など。第一日の第一曲、ラジカセのスイッチを押す指が、ふるえて止まらなかった。しかしこの人は今日、そんな大胆な挑戦や負けん気の気配を、おくびにも出さない。

 新曲は『新橋二丁目七番地』で、デビュー曲以来の戦友と言う田久保が作詞、手塩にかけて来た杉本眞人が作曲した。靴磨きの主人公の平らな視線で歌うあさみ流応援歌。これもまたいいのよ!と悪ノリする僕は結局、ハンチングをかぶったおじさん群の一人に、取り込まれているのかも知れない。

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