君は"職業歌手"奥山えいじの 歌を聞いたか?

2014年2月22日更新


殻を打ち破れ141回

 渋谷界わいでの仕事帰り、時おりガード下の居酒屋へ寄る。芋煮とせいさい漬けがそこにあるせいだ。本場は山形。晩秋に天童へ通って10年、すっかりそのトリコになっている。

 食い物と土地の酒にひかれてばかりでは、関係者に失礼に当たろう。年に一度、佐藤千夜子杯歌謡祭という催しの、審査を頼まれての一泊二日である。佐藤は地元出身の歌手で、日本のレコード歌手第一号。『波浮の港』『ゴンドラの唄』『紅屋の娘』などのヒット曲を持つ。歌謡祭はその業績を顕彰するものだ。

 東北は歌どころでもある。11月17日、天童の舞鶴荘という温泉ホテルには、100名を越すのど自慢が集まった。決選に残るのは10名。今年は『悠久の男』の松本宏之と『相馬恋唄』の鍬野邦男が優勝のつば競り合い。双方とも「うまい歌」のうえに「いい歌」の味があった。

 ≪ン?≫

 当方のアンテナに引っかかったのはゲスト歌手。チャン・ウンスクのセクシーさとは対照的に『三年め』を歌った奥山えいじの"北の味"である。昭和テイストの屋台酒・望郷演歌。昔なら流しのギター弾きにうってつけのタイプを、響きのいい高音しならせて、なかなかの歌唱。昭和演歌を満喫して育った元歌謡少年の僕は、往時を思い返してしみじみと、いい気分になった。

 「誰? どんな人?」

 審査席が隣りの"ダイジン"木村尚武氏に聞く。日本テレビの人気番組「スターに挑戦」をプロデュースした人で、大泉逸郎の育ての親。大臣もやった大物政治家の息子だから、そんな愛称を持つ。親子代々山形の人で愛郷心の塊。それが、

 「いいだろ? ずっと面倒を見ているんだ」

 と、我が意を得たりの笑顔を崩した。

 奥山には「みちのく田畑(でんぱた)の星」のキャッチフレーズがつく。1986年、山形県歌謡選手権大会の優勝が、この道のスタートというから、もう30年近いキャリア。『走れ魚トラ東北道』『お酒がしみる』をリリース、『楽天イーグルスGO!GO!GO!』や、みちのくYOSAKOIまつりの応援歌『乱舞』などで、地域に貢献してもいる。

 天童の歌謡祭には例年、後夜祭というのがある。矢吹海慶和尚がボスの実行委員会のメンバーやYBC山形放送のスタッフ、僕ら審査員に出場者有志、地元カラオケ団体の面々などの酒席である。万事手づくりのイベントらしい和気あいあいの席を、気づけば奥山がお酌をして回っている。歌声もルックスも若々しい彼の如才ない振舞いに透けて見えるのは、昔々からの農村の酒盛りの風景だ。しかし、この無名の歌手には、下積みの卑屈さや媚びはない。

 聞けば歌手活動に合わせて、大がかりな農業に従事しているという。夢はもちろんメジャーで大ブレークだろうが、生活がしっかり大地に根をおろしていて、それが彼の歌心とプライドを支えているのだ!

 ≪文字通りの"職業歌手"だな。こういう生き方もご時世ふうで、いい...≫

 芋煮、せいさい漬け、天童の人々との親交に、奥山えいじの歌が、僕の天童詣での楽しみに加わった年である。

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