ちあき哲也、永遠の異端児!

2014年7月6日更新


殻を打ち破れ146回

「あの子はねぇ」

 とちあき哲也が言うから「どの子かな?」と思ったら、相棒の杉本眞人のことだった。ひ弱な作詞家とやんちゃな作曲家。どこに共通点があってのコンビだろうと常々思っていたが、相手の呼び方でまた意表を衝かれた。僕が長いことしゃべっているUSENの昭和チャンネル「小西良太郎の歌謡曲だよ人生は」に、ちあきをゲストで招いた時の話――。

 秋田へ一泊二日、友人の芝居を見に行ったほかは、スケジュールからっぽが僕の今年のゴールデンウィーク。陽光さんさんの葉山の海と、自宅ベランダで向き合っている合い間に、ちょっと古いアルバムを引っ張り出して、聴いた。『すぎもとまさとMeetsちあき哲也』2013年の7月に出たやつだ。演歌歌謡曲を毎月、たくさん仕事で聞く日々の中で、この二人の作品は妙に新鮮で、心にしみ込んで来る魅力がある。

 ≪『かもめの街』なぁ。これこそ二人の傑作だが、誰が歌っても色あいが違うところがミソか≫

 難曲だからか、カラオケ上手がやたらに歌いたがる。もちろんお手本はちあきなおみだが、大ていは似て非なるところどまり。ちあきのうまさには、真似ようにも真似るとっかかり、手がかりがない。それならすぎもとまさと風に行くか? これまた語り口が独特すぎて、とてもついては行けまい。

 哲也初期の作品である。明け方、杉本が出ていたライブハウスからの帰りに、坂の上から見た渋谷の町が、海みたいに見えたそうな。その手前に、ほろ酔いの女をうずくまらせて、彼流のメルヘンを書いた。だからタイトルはかもめの「海」ではなく「街」になる。およそメロディーなど付きそうもない破調の詞。それにちょこちょこと、杉本は気ままな曲をつけた。哲也に言わせれば、瞬間芸みたいな、思いつき、ひらめきのメロディー...。

 おおむねずらずらと、一人語りの口語体の詞の書き手だ。流行歌の枠組みを度外視しているが、一番と二番、字脚を揃えたりするのは、

 「こんな仕事をしてる、性(さが)かしらねぇ」

 と哲也は笑う。歌にする気など二の次で杉本に渡した詞が、何年か後に『吾亦紅』の大ヒットになった。僕は二人とプロデューサーの松下章一を一束にして、あのころ、スポニチ文化芸術大賞の優秀賞を贈った。

 『銀座のトンビ』『くぬぎ』『曙橋~路地裏の少年』...。みんなこのトリオならではの作品だ。実情は人知れず、知恵と汗をしぼっているのだろうが、一見気ままな二人の歌づくり。ちあき哲也は異端からスタートして、ブレることなく異端の道を貫くあたりが好ましい。それがこの人の考え方、生き方であり、生理なのだろう。

 午後5時過ぎ、江の島を遠景にした海の舞台を、上手から下手へ、かもめの群れが帰る。御用邸方向に、彼らの巣があるのか。

 実は今僕には、昭和の歌を一冊にまとめるありがたい仕事がある。日々心ときめいてはいるのだが、400字原稿用紙3~400枚は気が重く、書き貯めが遅々として進んでいない。

 ≪いかんいかん、いかんなぁ...≫

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