登ちゃんが『孫が来る!』で泣いた。

2014年8月9日更新


殻を打ち破れ147回

♪漁師に生まれて よかったね...

 『海峡の春』という曲の一番、三番の歌い締めのフレーズ。岡千秋の歌がここへ来ると必ず会場から共感のどよめきが起こる。北海道の鹿部。人口5000の漁師町の人々は、この作品を"わが歌"と受け止めているのだ。

 星野哲郎の作詞。彼はこの町を第二のふるさととし、"海の詩人"のおさらいみたいに、毎夏20年余も通った。作曲は岡千秋。もともと鳥羽一郎の歌で世に出た作品だが、鹿部では岡が弾き語りで歌う。作詞家の里村龍一と一緒に、長く星野のぶらり旅のお供をして、彼らもこの町の人間みたいになっている。

 「函館から川汲峠を越え、噴火湾添いに北上して車で小一時間...」

 僕はこの町のありかをこういうふうに、一体何十回あちこちに書いたろう。星野を「黄門さま」に見立てれば、岡と里村が「助さんと格さん」で、僕は二人の間にはさまった「と」として、やはり20年余をこの町に通う。今年は六月三日からの二泊三日でゴルフを3ラウンド、二日目はその前に午前5時半出船で釣りに出る。相当な強行軍だが夜毎のおもてなしは、とれとれの海の幸山盛りと酒と厚い人情。

 観進元は地元の有力者、道場水産の道場登社長である。自称星野哲郎北海道後援会の会長で、

 「星野先生は、めんこいなぁ」

 が口癖。少年みたいな丸い眼を細めて、星野をめぐる懐旧談をひとしきりする。この秋11月15日が星野の4回目の命日になるが、

 「お前らだけでも来い。寂しいから...」

 と、詩人の没後も僕ら三人に毎年声がかかるのだ。

 今回は六月四日が道場氏の74歳の誕生日で、記念したゴルフコンペがあった。道場社長に兄事する新栄建設岩井光雄社長の献身的な仕切り。信用金庫の伊藤理事長や山田元教育長などの名士をはじめ、道場人脈の人々が大勢集まった。壮年のゴルフ好きたちは只事ではない好スコアで続々と上がって来る。まるでサマにならない僕は事後のパーティで少々お役に立つ司会。

 里村がまず、釧路なまりで里村版日本昔話をやる。芝刈りの爺さんから洗濯の婆さん、浦島太郎まで、登場人物がみな死んでしまう怪談!?に、会場は爆笑また爆笑。

 「誕生日なのに、俺を何回も殺すな!」

 道場社長がまぜ返すからまた爆笑である。

 "有力者""社長"と書くと、道場氏は偉そうな強面紳士と思われそうだが、それがまるで違う。僕らが「たらこの親父」「登ちゃん」と呼ぶ愛すべき野人だ。会場の鹿部カントリークラブに年180回は通った剛の者で、チョンチョンパッ!のパッティングに愛敬がある。大病をしてゴルフと酒は慎んでいるが、かつては朝からビール、ラウンド中もビール、夕方からは焼酎で宴会に突入と、体を黄色い血が流れていそうな快人!?だった。

 ところで岡千秋の『海峡の春』ほか何曲かだが、おなじみのだみ声ふりしぼる熱唱が、漁師町似合いの生活感を持つ。半端じゃない暮らしをして来た男の、苦渋と哀歓が彼ならではの世界。おしまいに『孫が来る!』を歌ったら、道場社長が涙ぐんだ。星野への追憶、地元の人々の友情、尚子夫人に長男真一・次男登志男も元気な日々への、安堵などが交錯してのことだったろうか――。

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