高林こうこの詞、福浦光洋の歌がいいぞ!

2015年9月6日更新


殻を打ち破れ162回

 福浦光洋という人のミニ・アルバム『途中下車』を聴く。銀座にシャンソン・バー「ボンボン」を開く人で、シャンソン、カンツォーネ歴は30年。店ではそんな外国曲の詞を、津軽弁で歌って人気があるとか。

 5曲全部を書いている高林こうこの、詞がいい。表題曲『途中下車』は、ふと列車を降りた田舎町のひなびた宿が舞台。主人公はそこで思い出を並べてひとり酒だ。肴は漬け物やホッケで、いい月を見上げ、いい風を感じる。思い返すのは優しかった女、悪だが憎めない奴、父親みたいに忠告してくれた友...。

 ≪ほほう≫の気分で聞き進めれば『ジェームス・ディーンと語ろうか』『東京日記』なんていう曲名が出てくる。前者はレトロなバーでの酒。若かったころあの映画スターを同朋(とも)と思い定めた男が、いつかその血の熱さを失い、自分を変えてしまった年月と向き合う。せめて一夜、ジェームス・ディーンと見果てぬ夢を語ろうか...。

 後者は、事情があって志なかばに、郷里に戻った友人をめぐる話。日記のページから何度も浮かぶのは、一緒に東京暮らしをしていたころの彼の顔だ。その友から彼が育てたリンゴが届く。その赤さに目を凝らしながら、彼の分まで頑張ろうと思い返す男の都会の夜に、降りかかるのは友の故郷と同じ雪――。

 このアルバムをプロデュース、3曲とも作曲しているのは山田ゆうすけ。詞の魅力を損なわぬ率直なメロディーで、ひところのフォークソングの味に、ポップな感触を加えている。その詞、曲を淡々と歌いながら、熟年の男の苦渋を伝えるのが福浦の歌。青森出身というやや重めの口調が、悔恨の歌3曲を、人肌のぬくもりにした。真情ほろり...の哀愁の程が良く、声をはげまさず、技を用いずの唱法が沁みる。情緒的湿度が高すぎず、適温の情感の歌と言えようか。

 ≪彼らなりのやり方で、みんな踏んばっているんだ...≫

 と僕は、友人三人の顔を思い浮かべる。作曲した山田と初めて会ったのは、作曲家協会のソングコンテストでグランプリを取った1998年だから、もう17年のつき合い。その後、作曲の花岡優平、田尾将実、藤竜之介、作詞の峰崎林二郎のグランプリ組と「グウの会」を作ってよく遊んだが、最近はそれぞれ一人歩きをしている。山田は「愚直のグウ」の会の名をそのままに、着々の歩みを進めていることになるか。

 作詞した高林は、もず唱平に紹介された彼の人脈の一人。もずの会などでちょくちょく顔を合わせるが、寡黙な人であまり話し込んだことはない。万事控え目な挙措の内側で、こんなにしみじみした歌心を育てていたのだ。

 山田はもう一人のお仲間、堀越そのえの詞でシングル『娘に贈るLet It Be』と『じいじの写真館』を自作自演している。そして、このシングルと福浦のアルバムをリリースしたのが、ウェブクウという小さめのメーカー。山口光昭社長とは、彼のトーラス時代からのつき合いで、この種の企画にも手を借すあたりが、いかにも彼らしい。

 僕は彼や彼女の、決して野心がギラつくことのない仕事ぶりに、置き忘れていたものをみつけ直した心地になった。福浦は彼の拠点の店で59日に発表会をやるが、残念ながら欠席する。もず唱平と仙台の仮設住宅を訪ねる先約があったせいだ。

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