エドアルドの新年に期待する

2016年12月17日更新


殻を打ち破れ170回

 ≪どういう新年を迎えたのだろう、あいつは?≫

 ふと思い返す顔がある。ブラジルのサンパウロで生まれ育った男だが、日本へ来て何年にもなるから、年越しは慣れているだろう。しかし今年は、念願叶ってやっと、プロの歌手になっての正月である。それなりの感慨はあるだろうからと、しばしその胸中を推しはかることになる。

 昨年の秋『母きずな』という曲でデビューした、エドアルドがその男だ。NAKの日本アマチュア歌謡祭でグランプリを取ったのが2001年。ブラジル支部の代表だったが日本でプロになりたいと言った。それが初対面だ。

 「そんなデブで、商売になると思っているのかい?」

 と、審査委員長だった僕は、冗談のつもりで言った。「ウッ!」という顔をしたその青年が、なぜか日本に居ついた。初志貫徹の強い思いがあったのだろう。その後何回か、NAKの大会に顔を出し、

 「元気で勉強しています!」

 と、笑顔を作った。心なしか少しずつやせている。バイト暮らしで苦労をするせいか、それともダイエットに励んだせいか。デビューの話を聞いた時、担当するテイチクの佐藤尚ディレクターから

 「頭領に叱られたと言ってますが、何かありましましたか?」

 と聞かれた。思い当たるのは体重の件だけだから、めったに冗談も言えないと自戒したものだ。

 『母きずな』を聞き直す。日本人の歌と言われても、誰も疑わない発声と発音で、新人ばなれした相当な巧みさがある。歌い出しをそっと出るが、高めの声をしならせて、情感もたっぷり。決めのサビはしっかりと決めて、僕は思わず人知れず拍手をした。グランプリ受賞の時もそれなりに巧かったが、彫りが深くなって歌に奥行きが生まれている。異国で暮らし夢を追った5年間が、彼を人間的にも鍛えた成果か。作曲家あらい玉英に師事したという。その薫陶よろしきを得たのかも知れない。

 父は行方不明、母は生後間もなく彼を他人に預けたという。生母とは日本に来る前に会ったそうだが、そんな生い立ちを作詞家たきのえいじが聞き取って詞を書いた。カップリングの『夢慕情』も、異国で暮らす彼の心情に添っていて、これではエドアルドがその気にならぬはずがない。デビュー曲が若者の一途な思いを伝えるのはそのせいで、制作陣は『母きずな』を、彼のドキュメント・ソングに位置づけている。

 昨年秋、サンパウロから友人の北川朗久がやって来た。あちらのカラオケ界のボスで、手塩にかけたとエドアルドの応援のため。エドアルドに日本語も歌も教えたのは彼だそうな。日程的に僕は会えずじまいだったが、地球の裏側で、この新人歌手への期待が大きいことを示す一例だったろう。

 しかし昨今、歌手の活動状況はますます厳しさを加えている。その中でエドアルドは、異国で、異国の歌を歌い、異国の歌手たちをしのごうとする。新しい辛苦が彼を待ち構えているだろうが、僕は友人の一人として、微力の後押しを頑張る決心をするしかない。