伍代が船村作品をゲットしたぞ!

2016年12月25日更新


殻を打ち破れ178回

 一年先の話は鬼が笑うなんていい方は、もう昔のこと。何しろこのごろの日本は、四年も先の東京オリンピックに浮かれているんだもの...と思っていた。そんな矢先に、来年の話をしたのが伍代夏子で、観客が大笑いした。来年といっても1月に発売する新曲『肱川あらし』のことだから、実は4ヵ月先のことだ。

 93日、水戸の茨城県民文化センター大ホールが舞台。この日この場所で開かれていたのは、「高野公男没後60年祭演奏会」で、主宰したのは作曲家船村徹。彼の代表曲『別れの一本杉』がブレークした昭和31年の9月、相棒の作詞家高野公男は26才で夭折した。2才年下の船村は以後60年このかた、一途に高野の霊を供養し続けている。

 その師匠の熱い思いに胸打たれながら、演奏会に参加したのは北島三郎、鳥羽一郎、森サカエ、松原のぶえら船村一門の歌手たち。その中に伍代も居て、

 「私だけ、船村先生の作品を一つも頂いてなくて...」

 と、門外漢の弁で登場したから、客がまず笑った。その空気がすぐに変わったのが『肱川あらし』についてで、歌手生活31年めでやっと手にしたこの曲が、念願の船村作品だと打ちあけたから、場内はしんみりする。ではその歌を...と来るかと思ったら、来年1月発売の前宣伝だけだった。客が爆笑するはずだ。

 「まっ白な霧が嵐みたいに川添いに流れて、海に注ぐの。その夢みたいにドラマチックな四国・愛媛の光景を舞台にしたお話で...」

 伍代は委細かまわず歌の内容を話し続けた。僕は一足お先にその曲を聞いていたから、彼女の熱くなり方に「そうだろ、そうだろ!」になる。弟分の角谷哲朗ディレクターから、出来たてのCDが届いたのは819日、書家の金田石城が原作、脚本、監督、主演する映画「幻斎」にチョイ役で出演中のロケ先で、現場は埼玉・大宮の料亭。CDはまだラフミックス状態だった。

 ♪非の打ちどころのない人なんて、いませんよ こころに傷のない人なんて いませんよ...

 と、喜多條忠の詞が歌い出しから破調。決まり切った定型詞沢山の歌の中ではかなり刺激的で、三番では、

 ♪涙の川ならいくつも越えてきましたよ こころが石に変わったこともありました...

 なんて言っている。それをスタスタと語らせておいて、2行めのおしまいからしっかりと演歌に昴らせるのが作曲した船村の手腕。そのあとゆったりと歌をゆするのが彼独特のメロディーで、劇的な序破急が見事だ。

 伍代にすれば、カラオケ族好みの平易な作品を歌い続けて来た。それが力量が試されるくらいの本格派に出会えたのだから、喜びがひとしおなのだろう。また、それを歌いこなした達成感が、早めの前宣伝になってもいようか。

 船村は5月に心臓の大手術をし、あわや心不全の危機を脱出、その後長く予後の闘病に専念している。84才の高齢だが、待たれるのは一日も早い完全復活。伍代が貰った滅法いい歌が来春あたり、この大ベテラン作曲家に朗報第一号をもたらすとすれば、来年の話だと笑ってなどいられる訳もないか!


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