桜の季節と長良じゅんさん

2017年6月4日更新


殻を打ち破れ185回

 初めて歩く道のりは、どうしても長く感じる。地下鉄日比谷線三ノ輪駅で聞いたサンパール荒川の位置。

 「その大通りを右へ、まっすぐ...」

 と言われたが、行けども行けども...になった。スマホなんて文明の利器は持たぬ無ケイ文化人。その代わりすぐ他人に尋ねる習性は、新聞記者くずれの気安さだ。遠すぎる...と不安になって、聞いた二人めは「この辺の者じゃないので」と不発。次の米屋のご婦人は「ちょっと先、信号の向こう」と事もなげだったが、土地の人の「ちょっと先」はなかなかに油断がならない。

 4月4日午後、辿りついたイベントは長良グループの「夜桜演歌まつり」で、駆け込んで来た徳光和夫氏と私語を交わしながら、人気歌手の歌の品定めをする。兄貴分山川豊の『螢子』がいい歌で、新曲『早鞆ノ瀬戸』の後に水森かおりが相変わらずピョンピョン。この間会ったら「40歳になります」と言っていた氷川きよしは『男の絶唱』でオトナ歌手への転進が着々だ。

 もしかするとこの曲で、ひと皮むけそうと期待するのは『ソーラン鴎唄』の椎名佐千子。岡千秋の曲にあおられるように歌がはじけて、インパクトが強い。「そうですよねえ」と意見一致の徳光氏は、一緒の仕事が続いていて「あの人、案外無器用なところがあって...」と、彼女の素顔を語るあたりに父親世代の温かさがにじむ。

 全員が合唱した『いつでも夢を』で作曲家吉田正、はやぶさの『ラブユー東京』で作曲家中川博之のありし日を思い浮かべた。藤野とし恵の『重友一代』は長良じゅんさんの企画だったし、『みれん海峡』の田川寿美については以前、長良さんから「芸名が地味なのかな。改名する手もあるけど、どう思う?」と、相談されたことがある。いい歌手やいい歌には、いろんなエピソードが隠されているものだ。

 長良さんとは、水原弘のカムバック作『君こそわが命』の作戦参謀をやった時からのつき合い。美空ひばりと「きょうだい!」と呼び合う仲に驚き共感もした。男気一筋の人で、作曲家のトラブルが僕の告げ口のせい...と嘆いた当事者に「彼は、そんな男じゃないよ」と言下に退けてくれた件などは、後になって他所から聞いた。

 昨年の夏、ハワイのワイアラエでプレーして、長良さんが客死した場所で合掌して来た。家には彼のプレゼントのゴルフバッグがある。赤と黒、布製のガッチリしたアメリカ仕様、ローマ字で僕の名前まで刺繍されている。亡くなって5年、僕は親交のあった人の形見として、大切にしている。

 この「夜桜演歌まつり」そのものが、長良さんの発案。手持ちの歌手を揃えて年に一度、東京23区を回って地元の福祉に寄金する。第1回は北区赤羽で氷川がデビューした年だった。今回の荒川は18ヵ所めで、残りはあと55ヵ所の勘定になるが、その都度僕はまだ、見知らぬ土地を歩けるのかどうか? 桜の季節恒例のこの催しで、懐かしい人を偲ぶのは、彼の生き方が花同様に潔よかったせいだ。

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