「コトバであれこれ言うよりも、吠えてもらった方がいいと思って...。ふふふ...」
作詞家田久保真見がいたずらっぽい口調になった。10月6日昼、中目黒のキンケロ・シアターのロビー。僕が出演した路地裏ナキムシ楽団公演「屋上の上の奇跡」を見に来てくれてのひとコマだ。彼女の視線の先には歌手日高正人からの祝い花が居据わっている。並んでいるのは川中美幸や阿久悠の息子深田太郎、小西会からのものなど何基か。田久保が冗談めかしたのは、日高の新曲『男の遠吠え』を作詞した胸の内で、
「聴いたよ、正解だよな、遠吠えが...」
僕も我が意を得たり...のリアクションになる。日高は力士かレスラーかと思われる巨体が容貌魁偉の口下手、そのくせ好人物丸出しの笑顔で、大汗かきながら歌社会を駆け回る。どうにも捨て置けぬタイプだから、つき合いは40年を越えようか。それが前々日に劇場の楽屋に現われ
「頑張ってます!戦ってます。いい歌が出来て最高です!」
と連呼、終演後の小西会の面々20人ほどの酒盛りでも存在感をアピールしたばかりだった。
新曲は前奏から「うおうおうお~おお...」である。それが7個所も出て来て、合い間にコトバが入る。「男なら夢を見ろ」「信じたら命を懸けろ」「泥の船と知っても崩れるまで漕げ」...と、何とも勇ましい。日高の信条そのままみたいだから、彼も乗り気十分になるはずだ。しかし――、
作詞家田久保はやはり一流で、歌を勇ましいだけでは終わらせない。
♪魂が泣きじゃくる日の 想い出と酔いどれる日の 哀しみを抱き寄せる日の...
と、遠吠えに熟年の男の苦渋をにじませ、75才を越えてなお、見果てぬ夢を追う、無骨な日高の日々に重ね合わせるのだ。
作曲したのは真白リョウ。ロックの乗りに和の味わいも加えたポップスである。いくら気持ちが若くても、日高は音楽的には旧世代。レコーディングでは苦戦を強いられたはずだが、やりおわせれば"へのカッパ"で、てこずったことなどおくびにも出さず、楽屋での報告は次に続いた。
「あのですね。実はですね」
と持ち出したのがジャケットの件で、何とも赤塚不二夫の30年以上前の作品。日高の似顔に後光がさし、星がちりばめられた独特の絵で、赤塚のサインも入っている。いわば日高のお宝が世に出た形。
「赤塚なぁ、お前さんも親交があったんだ」
と、僕の感慨は横っ飛びする。昔、彼とは新宿あたりでよく飲んだ。それが縁で僕の勤め先だったスポーツニッポン新聞の創刊50年には、題字横に指で50を示すニャロメが登場、記念に作った「ニャロメ旗」が、群馬の山岳会が冬期エベレストに挑戦した時は、山頂でひるがえった。50年祝賀パーティーでは、ほろ酔いの来賓祝辞で
「僕と小西は新宿で女を争った仲だ」
とぶち上げ、社の幹部が唖然とする一幕もあった。それやこれやのつき合いをフォロー、長く赤塚番を務めた同僚の山口孝記者が「赤塚不二夫伝・天才バカボンと三人の母」(内外出版社刊)を上梓、この9月29日に出版記念会を開いたばかりだった。
「縁なんですね、うん、縁なんだ」
日高はそれもこれもひっくるめて、彼の新曲に結びつける。見たばかりの僕らの芝居のことなどそっちのけである。
「楽しかった。ところどころジーンと来て泣けた。田村かかしという人の脚本演出がいいし、音楽と演劇のコラボも新機軸よね」
田久保の方はきちんと、ナキムシ楽団10回記念公演を笑顔で総括したものだ。
