親友・前田俊明を悼む

2020年6月28日更新


殻を打ち破れ222


 五木ひろしの『おしどり』、川中美幸の『二輪草』、キム・ヨンジャの『北の雪虫』、神野美伽の『浮雲ふたり』、田川寿美の『哀愁港』、成世昌平の『はぐれコキリコ』、水森かおりの『熊野古道』、福田こうへいの『南部蝉しぐれ』、香西かおりの『氷雪の海』、丘みどりの『鳰の湖』、藤あや子の『むらさき雨情』など、ざっと思いつくままにヒット曲を並べてみる。実はこれらに共通点がひとつあるのだが、お判りになるだろうか? もしあなたが、才能に満ち溢れた一人の男の名を挙げられたら、あなたは日本一の歌謡曲通と言ってもいい。答えは「編曲家前田俊明」で、この作品群は全部彼のアレンジで世に出た。

 前田の訃報は歌社会の仲間何人かから届いた。彼の息子安章さんが生前親交のあった人々へ、FAXで知らせたものの転送である。脳腫瘍が再発して闘病が長く、亡くなったのは417日午後444分、通夜と葬儀は23日と24日、桐ヶ谷斎場で家族葬として営む。弔問、供花、香典などは一切辞退とあった。享年70、若過ぎる死である。家族だけで静かに...という思いが即座に伝わる。折から世界に蔓延した新型コロナウイルス禍で、緊急事態宣言が発令され、不要不急の外出は自粛!が声高の時期だ。

 ≪不要なんてもんじゃないぞ。親友の弔いだ、何をおいても行こう!≫

 一度はそう思った。しかし待てよ!とたたらを踏む。物情騒然の時だけに「心静かに」という遺族の思いは汲まねばなるまい。「密閉・密集・密接」の「3密」を避けたいおもんぱかりもあるだろう。こちらは80才を過ぎていて、感染していない確証もない。押しかけて行くと、かえって迷惑をかけることになりかねない。以前、家族葬へ出かけた経験は何度もある。家族同然のつき合いの仲間を見送った時だ。しかしあれは「平時」で、今は「戦時」だ。と、結局弔問は諦めた。

 「そうか、あれが出世作だったんだ...」

 僕の問いに前田は好人物そのものの笑顔で答えた。

 「山川豊さんのデビュー曲で『函館本線』ですね。1981年だから、もうずいぶん昔です」

 そんな取材で知り合って、長くお遊びのグループ"仲町会"の仲間にもなる。ゴルフ場からの帰りに、彼の車に便乗した回数は数え切れない。ギターを買ったのが小学校5年、中学でマンドリンと出会い、クラブ活動で編曲もやり、歌づくりにかかわる決心をする。明大マンドリン倶楽部で教えを受けたのは古賀政男...と、そんな彼の経歴を知ったのは、車中の雑談だった。

 毎年夏ごろに、季節はずれの年賀状まがいが届いた。カラー写真の葉書きで、前年に夫人と海外旅行をした報告。毎年のことだから行く先が次第に中南米だのアフリカだの、ごく珍しい旅先になったが、その土地々々で民族楽器を買い求める楽しみもあったとか。歌謡界にも愛妻家はそこそこ居るが、まるで手放しで前田はその代表。

 「俊ちゃん、今度はどこへ行くのよ」

 と聞けば、

 「だんだん行く先がなくなっちまって...」

 と、しんから困ったような顔になった。

 カラオケを楽しみに出かけたら、画面の編曲者名に気をつけてくれませんか。例えば水森かおりのご当地ソングは全曲彼の手になるし、角川博もそう、永井裕子もそうで、あなたが歌うヒット曲の半分くらいは彼がアレンジしていると気づくはずだ。

 「シンプルで花やかで、歌いやすく明解なもの」

 を心掛けたと言う前田俊明の編曲は、多岐多彩な作品群と歌手たちの個性を、華麗に染め上げ艶づかせて見事だった。僕は平成を代表する音楽家と心優しい親友を同時に失った無念を噛みしめている。

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