新歩道橋1100回

2021年4月17日更新



 通販番組のうまいものにオーバーに反応したり、俳句をひねったり。笑顔のままの毒舌が人気のおっさん梅沢富美男が、絶世の美女になるのだから大衆演劇は愉快だ。1月にやる予定がコロナ禍で延期、3月にやっと幕が上がった「梅沢富美男劇団千住新春公演」を見に出かけた。東京・千住のシアター1010で、ゲスト出演は中堅どころの門戸竜二と竜小太郎。
 感染予防万全の観客がドッと沸く。いきなり登場した梅沢は、いや味な年増芸者で、化粧はまるでおてもやん。それが後輩芸者の門戸に無理難題を押しつける。大金を落として途方に暮れる番頭の竜を、門戸が金を立て替えて救おうとすると、
 「いい役を貰って、もう…、いい気分だろうよ、そりゃあ!」
 梅沢が聞こえよがしに呟く。
 門戸芸者が相思相愛の若侍との縁を断たれる愁嘆場では、
 「いつまでやってんだよ、まったく。いい加減にしろよ…」
 と半畳を入れる。芝居の登場人物のままの野次で、思いがけず毒舌おじさんの一面をひょいとのぞかせる。その間(ま)のよさと程のよさ、座長のいたずらに客は大喜びだ。
 公演は3部構成。1部が芝居で2部が歌謡オンステージ、3部が劇団揃い踏み「華の舞踊絵巻」となる。1部でアクの強い三枚目をやった梅沢は、2部は黒のタキシードでちょいとした紳士だが、ここでまた、
 「ヒット曲はこれっきゃねえんだから…」
 と自虐ネタでニヤリとしながら「夢芝居」と新曲を2曲ほど。あとは司会者ふうに竜と門戸を呼び出す。竜の歌は時代劇扮装で「新宿旅鴉」門戸はスーツで「デラシネ~根無し草」
 門戸は両親が離婚、捨てられて関西の施設で育った。旅興行で全国を回れば、生みの母親に会えるかも知れないと役者になったエピソードの持ち主。それを下敷きにして「デラシネ」は田久保真見の詞、田尾将実の曲、矢野立美の編曲で作った。僕は門戸の座長公演ではレギュラーのぺいぺい役者。それが歌となると、こちらがプロデューサー、彼が歌手と、立場が逆転するつきあい。
 「それにしてもだよ、子供を何人もおっぽり出して居なくなるなんざ、ろくなもんじゃねえな。そんなおっ母さんなんか、探すことはねえよ」
 梅沢のきつめのコメントで歌に入るから、門戸のさすらいソングが妙に沁みる。ありがたい曲紹介と言わねばなるまい。
 《何度聞いても飽きが来ないってことは、いい歌だってことだな…》
 と、客席の僕はひそかに自画自賛する。近々次作を出すつもりの2曲が出来ていて、門戸は作曲した田尾のレッスンに通っている。舞台で歌い慣れたせいか、腕があがって来ているのが楽しみだ。
 お待たせ! の第3部は、豪華絢爛である。出演者全員の揃いの衣装や背景や小道具のあれこれが、投資!? のほどをしのばせる。それが舞台一ぱいに妍を競い、その中心で梅沢や門戸、竜が舞う。
 「正直言って、金かけたよ、うん、これには自信がある、見ててくれよ!」
 2部の歌謡ショーで予言した通り、ぜいたくでカラフルな見せ方だ。テレビでは素顔が多い梅沢が、こうまで変わるか! と感嘆するみずみずしい美女になる。踊りも派手めの緩急で、決まりのポーズでは、すいと視線を泳がせ、ふっと口角を上げる。拍手と嬌声、それにクスクス笑いもまじって、劇場の空気がとても親密だ。
 僕は多くの大衆演劇を見て来た。年末恒例の沢竜二全国座長大会でも、たくさんの役者たちと一緒の舞台を踏む。見聞した舞踊の決まりシーンでは、大ていみんなが見得を切った。大なり小なりだが「ことさらに目立つ表情や所作」を示すのだ。俗に言う〝どや顔〟だが、ファンはそれを支持、歓迎する。ところが梅沢はそこが違う。「どうだ!」と決めるかわりに「ねえ、こんな感じ?」と客に同意を求めるやわらかさがある。
 〝下町の玉三郎〟で人気を得て以後、古稀も越えた今日までの年月で、もしかするとこれがこの人が行き着いた境地なのか。そう言えば毒舌と呼ばれる語り口も、実は率直に本音を語る心地良さに通じるのだ。この人は積み上げて来た芸も、今また手にしている人気も、誇示することなく、上から目線にならない。芸の芯にあるのは人柄そのもの。それをよく知っているファンを目顔で誘って、一夜の娯楽を「共有」する気配が濃いのだ。
 大詰めは「劇団後見人」の位置づけの兄梅沢武生との競艶。葛飾北斎か? と見まがう荒波の絵をバックに、演じるのは美男美女の道行きである。舞踊から一歩踏み込んだドラマ仕立てのあの手この手に、見物衆はヤンヤ! ヤンヤ! だった。