新歩道橋1104回

2021年6月12日更新



 《おや、ずいぶん変わったな。うん、いい笑顔だ。いいことがあったみたいな気配まである…》
 CDのジャケット写真というものは、歌い手の訴え方があらわで面白い。自分が作りあげた世界に鷹揚におさまるベテランから、精いっぱい存在をアピールする若手まで、人により作品によって実にさまざま。女性歌手の場合は、衣装やメーキャップも工夫して〝それらしさ〟を演出する。しかし、いかにもいかにも…の決め方よりも、ふっと心のうちを伝えるような、さりげないタイプの方が僕には好ましい。
 そんなふうに今回、呼び寄せられたのは石原詢子の「ただそばにいてくれて」で、平仮名10文字のタイトル、洋装でほのぼの暖かめの色調がなかなか。何か新しい発見がありそうな予感がする。それはそうなのだ。いつもの彼女は着物演歌ひとかどの歌い手で、気性きっぱりめの自己主張がジャケットにも強かった。それにひきかえ今度は何を歌うのさ? と、歌詞カードをのぞくと、古内東子の作詞作曲とある。ほほう、そういう路線か―。
 聴いてみたら、中身もなかなかにいい。ひところ〝恋愛の教祖〟なんてもてはやされたシンガーソングライターの、いかにも古内らしい詞と曲の起伏を、石原がすうっと一筆描きの絵みたいな率直さで歌っている。雨あがりにふと会いたくなる人を歌の主人公は持っている。生きづらい世の中だが、その人に出会えて彼女は自由になれた。ただそばにいてくれるだけでも、同じ時代を生きていると感じられる嬉しさ…。
 一筆描きの絵にしても、激するパートはちゃんとある。サビに当たる詞の何行分かだが、石原はそこを、語り口は変えぬまま思いの強さを濃いめの色に染めてクリアする。もともと父親ゆずりの詩吟・揖水流から歌表現を身につけた人。それが父親が敷いたレールに反発、演歌に活路を求めた。声をはげまし節を誇る唱法が、この人の下地になっていた。デビュー以降しばらく、内心ではガンガン歌ってこれでどうだ! の時期があって、キャリア20年前後〝歌う〟ことと〝語る〟ことの意味合いに思い当たる。「三日月情話」や「夕霧海峡」を越え「港ひとり」に到達したあたりに、僕が「いいね!いいね!」を言ったのは平成27年ごろだから、歌手生活も27年あたり。
 今回の「いいね!」は、それから6年ぶり2度めである。演歌で一皮も二皮もむけたあとに、唱法までがらりと変えたポップス展開だ。古内の作品は、揺れる女性の思いを生き生きと、揺れる言葉とメロディーにして独特。そこに石原は共鳴、古内の思いのたけに自分の思いのたけを重ね合わせることに成功している。
 演歌の場合、声が先に聞こえがちだが、今作は声よりも思いが先に届いて来るやわらかな確かさがある。歌い手としてとてもいい時期に、似合いのいい作品と出会えたケースだろう。「ただそばにいてくれて」には、主人公の生き方、たたずまいまでが感じられる。カップリングの「ひと粒」は主人公の思いがひたむきに一途で、こちらの方が少し若めか。
 そう言えば…と思い出した。趣味が旅行とカントリー・ウエスタンで、年に一度はアメリカへ旅していた話。その時は「ほほう!」と聞き流したが今になって思えば、そんな体質とポップス系の新曲である。これが石原なりの多様性なら、詩吟→演歌と彼女の可動域を決めつけていたのは、こちらの了見の狭さだったろう。もっともこのコロナ禍では、好きなカントリーを聞くアメリカ旅行など夢のまた夢になっていようが…。
 6月2日、やっとこ予約が取れて、コロナのワクチンを打ちに行った。会場の葉山町福祉文化会館は、当然のことながら熟年男女で大わらわ。クーポン券と身分証明書を持ち、予診票を書き込み、医師の問診を受けて接種、その後2回目の予約を申し込む待ち時間が、事後の体調観察の時間に当たる。現場到着からほぼ1時間、見事にソーシャルディスタンスを保ちながら、僕は会場内をゆっくりと流されたものだ。
 帰宅しても無為徒食の日々だから暇である。よし、もう一度聴いてみるか! と、石原の2曲を、今度はウォークマンで吟味する。聞きながらジャケット写真を見直すと、少しもの言いたげで穏やかな笑顔には、今作の達成感めいたものまでのぞける気がした。それにしても何年か前、都はるみのラストコンサートの楽屋で顔を合わせたきりだから、石原にもずいぶん長いこと会っていない。歌手生活は33年めに入っているだろうが。