新歩道橋1106回

2021年7月11日更新



 「夜霧のブルース」と「別れのブルース」が、好きな古い歌の双璧である。それがここ数年は「別れのブルース」に、愛着が傾いている。
 〽窓をあければ港が見える、メリケン波止場の灯が見える…
 と、藤浦洸の詞が淡々と風景をスケッチ、
 〽むせぶ心よ、はかない恋よ、踊るブルースの切なさよ…
 と結ぶ。2コーラスめでどうやら船乗りと港のダンサーの恋と見当がつくだけで、事の顛末、それを取り巻く状況の説明などは全くない。2行ずつの詞の3段重ね、情感を揺らし積み上げるのは、服部良一メロディーだ。
 《そうか、この作品のキモは、歌い手と聴き手の想像力に任せられる心地よさか…》
 見回せば近ごろの流行歌は、説明過多にも思える。作詞家たちが、手を尽くそうと努力する結果ではあろうが…と合点して、作詞家の喜多條忠と作曲家の杉本眞人に話をもちかけた。男と女の仲に埋没しないで、もっとおおらかな恋唄を作ろう。喜多條、まず欲しいのは景色だ!
 秋元順子の新曲「いちばん素敵な港町」のタネ明かしである。こんな時代のこんな閉塞感を見据えて、心を石にしないで、優しさを取り戻そう。みんなカモメ同志さ、差別なんて無しだよ…と、喜多條のメッセージが埋め込まれる。
 あの歌は昭和12年に世に出た。84年も前の作品が、聴けばしっとり寄り添って来る。これは絶対今に通じる! と、秋元の新しいアルバムのメインに据えた。「昭和ロマネスク」がタイトルで「かもめはかもめ」「水色のワルツ」「公園の手品師」など、よく知られた曲の間に、埋もれたいい歌をはさみ込む。「暗い港のブルース」と「誰もいない」はなかにし礼「港町三文オペラ」は阿久悠「芽生えてそして」は永六輔「黒の舟唄」は能吉利人の詞…。
 なかにしの頽廃の美学、阿久のドラマづくりの妙、永のセンチメンタリズム、能の達観…と、詞には彼らならではの味わいが深い。それを作曲家たちが見事に生かしている。それらをうまく組み合わせて構成すれば、単なるカバーの域を越す新しい物語性が構築できはしないか。ヒット曲は時代を記憶させ歴史を物語り、埋もれたいい歌は、それを発見し、愛した人の個人史のメモにあたる。いいね、いいね、昭和モダニズムだね…と、秋元も制作スタッフも、桑山哲也をはじめ編曲まで頑張った秋元バンドの諸氏も、大いに盛りあがったものだ。
 悪ノリは6月30日昼、ティアラこうとうで開かれた秋元のバースデーコンサートにまで持ち越された。何と構成・演出の依頼が来てこの際だからヨッシャヨッシャ。本人と相談して2部構成の選曲配列を決め、秋元用コメントのメモを作り、港だの海だの街角だのの風景を短冊型のスクリーンにチラチラさせようぜと、その程度のお手伝いで、現場処理は舞台監督の伊藤昭年氏に丸投げした。合言葉は「シングル・イズ・ベスト」で、秋元の歌の巧さと魅力を強調できさえすれば、それだけでいい。話してみれば伊藤氏、舞台の仕事は三橋美智也が振り出しとかで、三橋と親交のあった僕らは、しばし懐旧談のあれこれになる。
 コンサートの企画・制作はテナーオフィスの徳永廣志社長。小沢音楽事務所でこの世界に入り、僕とはもう50年を越えるつき合いで「徳!」と呼びならわしている男だ。それが秋元の所属先になったから、彼は当然みたいな顔で歌づくりを僕に丸投げした。
 徳永社長にすれば今回のコンサートは秋元を引き受けて最初の手打ちイベントで、あちこちに熱心な動員をかける。彼が幹事長をやっている小西会の面々など、時節柄、事後の酒盛りはナシでやむを得ないと笑顔を並べた。音楽事業者協会の徳永のお仲間、業界のお歴々なども勢ぞろいで、
 「あんたの構成・演出だと強力に売り込まれてねえ」
 と冗談めかす。その分、ショーの出来不出来の責任は重大だった。終演後も笑顔は並んだままだったから、ま、秋元の力量がアピール出来たと言うことか。
 帰宅後留守電を聞いて胸を衝かれた。元東芝EMIの幹部市川雅一氏からで、長く闘病中なのに、
 「あんたが仕掛けているのに、行けなくて申し訳ない。知っての通りもう歩けないんでね…」
 受信時間が何と、当日の午前6時過ぎである。僕は前夜から会場近くに泊まり込んでいての行き違い。あいつに電話をしようと、彼はまんじりともせずに朝を迎えたのかと思うと、涙が出そうだった。