新歩道橋1109回

2021年8月28日更新



 遠くから突然、坂本九の歌声が流れて来た。つけっぱなしのテレビが映していたのは東京オリンピックの閉会式。歌声はその会場からで、「ン?」あれは「上を向いて歩こう」か? 「見上げてごらん夜の星を」か? 確認しようと、あわててボリュームを上げたが、テレビの画面はもう次の光景に移っていた―。
 日航ジャンボ機の墜落事故は1985年のことだから、8月12日で36年になった。坂本九の37回忌の年だ。そう言えば今年は、彼の生誕80年に当たるとか。僕の思いはさっさとオリンピックを離れて、あの事故で亡くなった働き盛りのポップスシンガーに移っていた。乗客乗員520人が犠牲になった事故の現場は、群馬県上野村の御巣鷹の尾根。日本中が震撼した出来事で、坂本九はその遭難者の一人だった。
 機影がレーダーから消えた…という一報から、当時の勤め先スポーツニッポン新聞社の僕らのスペースは、名状しがたい空気に包まれた。ジャンボ機が一機、所在不明。それはどういう意味を持つのか? 以後事態がはっきりするまで、どういう経過を辿るのか? 芸能関係の取材を主とするチームには、想像も出来ないまま、記者たちは楽観的な見方から悲観的な考え方を口々に伝え合う。最悪の事態を想定し、事実関係をひとつずつ積み重ねて、最悪から抜け出す習慣と手順を持つ僕らは、にわかには身動きも出来ない。
 全員で首っぴきになったのは、乗客名簿だった。片仮名表記、横書きのおびただしい名前の中から、気になる名前を選び出す。それぞれが、知っている限りの有名人の姓名を思い浮かべながらの作業。思い当たりがあればその人の現在位置を確認する。同姓同名の別人はよくあるケースだ。その間に日航機の動きが、少しずつ判って来るが、乗客の一人「オオシマヒサシ」が坂本九の本名とは結びつきにくく、それを当人だと鵜呑みに出来ようはずもない―。
 手許に「星を見上げて歩き続けて」という書物がある。5月に光文社から出版されており、著者は坂本九夫人の柏木由紀子で、彼女から届けられた。「突然の別れから物語は始まる。再び幸せの星を見つけるまでの〝心の軌跡〟」が帯にある文章。彼女の友人の歌手竹内まりやの
 「由紀子さんの笑顔の向こうには、底知れない悲しみを乗り越えた人だけが持つ、本当の強さと優しさがあった」
 という言葉が添えられている。
 事故から4日後の8月16日午後、藤岡市の旅館に詰めていた由紀子さんに、まず届いたのは坂本九のカバン。夕方には遺体安置所で、彼女は本人の確認をする。彼が身につけていた笠間稲荷のペンダントが手がかりだったが、翌朝の新聞の見出しがもう一つひどいショックを与えたと言う。
 「柏木由紀子、未亡人」
 その時彼女は38才、遺された女児2人は長女花子が11才、二女舞子が8才だった。
 「その時のことは今でも思い出したくないです」
 と告げながら、柏木はこの本で、彼女と坂本の別れから今日までの日々を、実に率直に書いている。年月が彼女をそんな境地に導いたのか、それとも生来、物事に激することのない穏やかな人柄なのか。29才と23才で結婚、幸せすぎて恐いくらいの毎日から、信じられない事故、気丈な日航との交渉や、墓のこと、娘たちの成長、女優業の再開などの事実が、ほとんど話し言葉の文章で進む。まるで笑顔の彼女が、目の前で語りかけてくるような心地になる本だ。
 長女の花子はシンガー・ソングライターで、ラジオの番組を持ち、宝塚歌劇で活躍した二女舞子はドッグセラピストで、犬の洋服のブランドを立ち上げている。結婚した娘たちは、実家の近くで暮らし、母娘3人は2004年から年に一度「ママ エ セフィーユ」(フランス語でママと娘たち)をタイトルに、コンサートを開いている。一年かけてこらす趣向が少しおしゃれで楽しく、坂本九への愛にあふれていて、招かれる僕は出席する都度穏やかで温かい気分になれたものだ。
 記者時代に僕は、彼を「坂本さん」と呼んだ。芸能人をなれなれしくニックネームで呼ぶことを避けるから、どうしても「九ちゃん」にはならない。しかし「坂本さん」ではいつも違和感がザラついたが、彼は何事もなげな笑顔で、親しげな応対に終始した。
 墓は尊敬していた榎本健一との縁で、六本木通りを渋谷に向かって、右側の永平寺別院長谷寺にあると言う。あそこには友人の作詞家阿久悠も眠っている。一度2人を訪ねてみたいと思っている。