新歩道橋1111回

2021年9月26日更新



 趣向を変えてきっちりと、ドラマを大きく展開するのは、芝居にしろショーにしろ、第2部の冒頭というケースが多い。9月14日夕、国立劇場大劇場で開かれた「大月みやこスペシャルコンサート〝歌ひとすじ~出逢いに感謝~〟」も、その例にもれない。大月は「雪国」の駒子と島村「婦系図」のお蔦・主税の愁嘆場を、一人芝居で熱演してみせた。コロナ下の公演、声援はご法度だからファンは盛大な拍手で応じた。
 映像と陰ナレーション(これも本人)で、おおよその設定を説明しておいての、男女の別離シーン。「雪国」では駒子と島村のやりとりを演じ分け「婦系図」は綿々とお蔦のひとり語り。双方悲嘆のきわみから「夜の雪」「命の花」の歌に入る。歌手生活57年「今、女を歌う」をモットーにして来た大月が、自分の表現世界を絵にし歌にして、女の情念をあらわにしたシーンだ。
 国立劇場で歌手がワンマンショーをやるのは、珍しい。劇場の格式がそうさせるのか、歌手たちがハードルを高めに考えるせいか。第1号は五木ひろしで、調べてもらったら2008年3月。ちょうど流行歌100年に当たったから、その流れと意味あいをショーに仕立てた。間に谷村新司をはさんで、今回の大月は演歌・歌謡曲勢では2人目。幼少時代の童謡から始めて今日にいたる、彼女の半生をテーマとした。劇場が劇場だけに、単なるヒットソングショーとは異なる構成・演出を必要としたのか?
 昔々のある日、近県でやっている春日八郎ショーに出かけた。取材相手は春日ではなく司会者の北条竜美。岡晴夫、小畑実ら一流歌手だけを手がけた名調子の有名人だが、大いにテレて
 「あたしなんかより、前途有望な娘がいます。あちらを取り上げてやって下さいよ」
 と名指したのが大月だった。1964年にデビューして、春日や三橋美智也の前座で19年もの下積みを体験した彼女を、
 「よく知ってます。あの人の第1作〝母恋三味線〟や次の〝潮来舟〟を歌えるくらいに」
 と答えたら、北条は憮然としたものだ。
 国立劇場の大月は大先輩二人の「あん時ゃどしゃ降り」「山の吊橋」と「哀愁列車」「おんな船頭唄」を歌って往時を語る。デビューが前の東京オリンピックの年だから覚え易いが、僕はその前年にスポーツニッポン新聞社の内勤から取材部門に異動したホヤホヤ記者。いわば〝同期〟のよしみで、その後長く彼女と親交を保った。
 大きな転機は、結果代表作となる「女の港」を得た1983年。ところが当初、有線放送の反響ばかりが先行、歌手名が置いてけぼりになりそう…と本人があせった。「大丈夫、結果はあとからちゃんとついて来る」と、僕は慰め役になった。ショーはその曲のほか、レコード大賞最優秀歌唱賞受賞の「女の駅」同金賞ほかの「乱れ花」レコード大賞グランプリの「白い海峡」など6曲で、順調な歩みを示して大詰めを飾った。
 1989年6月24日、大月はたまたま小林旭と食事をしていた。その日に美空ひばりが亡くなったから、彼女は色を失う。少し前からコマ劇場長期公演のオファーが届いていた。
 「私、だめ。お芝居好きじゃないし、出来ると思えない。絶対やらない!」
 食事の席で彼女はそう言いつのる。ダダをこねながら相手の反応を見て参考にするスターたちによくある手口。
 「何を尻ごみしてるの。ひばりさんが亡くなって、歌手芝居の一カ月公演は、みんなで後を継がなきゃならない。あんたもその候補に選ばれたんだもの、光栄と考えなよ」
 僕の激励の弁のうち〝ひばり以後〟の部分で、どうやら彼女は得心した。即刻その年7月に「浮草おんな旅」を新宿コマでやって、2年目の2月公演「婦系図~お蔦ものがたり」を見た僕は、不覚にも泣かされた。なかなかにやるじゃないか!
 話は国立劇場に戻るが、能弁の彼女は、ショーのMCもほとんど自前。連発するのは「凛とした女の生き方を…」「歌えることのしあわせ」「素敵な人との出逢いがあってこそ」「私を支えて下さるのはファンの皆さま…」
 自慢のノドも節回しも健在を誇示、歌は客席に攻め込む勢いを持った。イントロに合わせる司会者の美辞麗句も梃子に、彼女の歌の基本は大向こう受け狙い。時に過剰なほどの表現の核にあるのは、三橋、春日の昭和40年代に身につけたものと、同じ時代を生きた僕は思う。そんな古風と今様をうまく混在させる大月の芸を堪能したファンも、熟年熟女たちだった。