新歩道橋1120回

2022年2月27日更新



 タイトルからして「やせっぽちのカラス」である。意表を衝かれるが、何だかふっとなつかしげな気分にもなる。で? そのカラスがどうしたのさと、こちらは、聞き耳を立てる。そのカラスは、泣いていると言う。「世知辛い時代になったね」と―。
 歌っているのはおがさわらあいという歌手。隣りでギターを弾いているのは作詞作曲した田村武也。歌に戻れば、どこかの町の夕焼けを背に、カラスを見上げたのは若いカップルだ。くだらない話に笑い合い、ささいなことでも楽しくて、それだけで十分幸せな二人。
 それがつまずいて転んで、すりむいた夢を抱きしめながら生きることになる。男は下北で時代遅れの歌ばかり歌って、女は、たった一人の客だったのだが…。
 《そうか、そういうふうに話は展開するのか。判るなって気分で、歌がやけにしみてくる…》
 僕は客席で自分の若いころの感傷へ舞い戻る。昭和のあのころ、若者たちの多くはそういうふうに暮らして、そういうふうに夢にはぐれた。それでも気を取り直して、何とか平穏に生きて来たから今日がある。平成を過ぎて、令和になって、でも時代そのものは変わっちゃいないのか? 2月12日夜、僕が居たのは、ラドンナ原宿というミュージックレストラン。「日曜日思い出堂」と名づけたおがさわらのライブで見回せば、Z世代と呼ばれる若者たちが、
 〽どうにもならないことだらけで…
 〽明日にしがみついて、笑って泣いて…
 と行き止まりの青春の歌を、わがことのように聞いているではないか!
 《泣かせやがって、この野郎!》
 昔々、作詞家の星野哲郎が歌手小林幸子に書いたこのコトバを、同じように親愛の情をこめて作詞作曲者田村武也に伝えたくなる。彼は路地裏ナキムシ楽団を主宰、歌謡と芝居のコラボの新機軸の舞台で、作、演出、演奏、歌を担当する。僕は役者として数多く共演をし、長い親交がある。この仕事を「青春ドラマチックフォーク」と銘打つ彼は、ともかく一心に、客を泣かせ続け、その思いは、おがさわらの歌づくりにも徹底している。
 「あんた」という歌が出て来る。歌詞にいきなり
 〽自動販売機の安い缶チューハイで…
 というフレーズが出て来て、それで若い二人は何かの記念日を祝った。しかし、喧嘩も弱いくせに正義感だけが強い甲斐性なしの男は、風に吹かれてどこかへ消える。孤独には慣れているつもりだった女は、男の名を呼びながら無理して笑って、ひとり空まわりしている―。
 いつの時代も多くの若者たちには生きづらく、夢は途絶えがちだ。田村はその種々相を、市井の人々の姿から切り取って見せる。青臭い理屈は避け、メッセージ臭のフレーズも使わず、人肌の温かさとやさしさの説得力を示す。僕は彼の脚本で芝居をしながら、時折り涙を流した。どっぷりと役に漬かるのではなく、彼から手渡された登場人物とその悲哀を共有してのことだ。
 田村がおがさわらのための作品で示すエピソードも悲哀に溺れることはない。よくある話のよくある悲しみを、見詰め視線が穏やかに、その陰に生きづいている。売れ線を狙うのではなく、率直に心情を吐露する手法が得難い。しかしメロディーは哀訴型そのもので、思いは昂って音域をどんどん広げていく。
 それを「歌」にしおわすのが、おがさわらの役割である。決して有名ではないが、キャリアと力量はそれなりに持ち、民謡でも鍛える地声の強さが生きる。最高音部を地声で押すのか、裏声で抜くのか、その違いで歌は、圧力を増したり透明感を漂わせたりする。アンコールを含めた12曲は全曲田村の作詞作曲による。彼はおがさわらのための歌づくりに注力し、おがさわらは彼の作品だけを歌う仕事に特化する。作者と表現者の緊密な息づかいがあって、おがさわらのライブは、田村のライブでもあった。ライブだから「パズル」「願いの森」「心に咲く名もない花」など、ノリノリのメドレーもある。二人の世界に親しんで来た気配の客が、いい雰囲気を作る。年齢の差も感じずに、僕は生ビールでほろ酔い、その空気にとけ込んだ。
 「新曲もよかったよな」
 「うん、アルバムが6月に出るってか…」
 ファンらしい青年二人連れの会話を小耳にはさみながら、終演後僕は表参道に出る。まん延防止等重点措置とやらで、この時間、行きつけの店ももう閉めるころだ。
 《ま、いいか…》
 僕は割と素直に帰路についた。