新歩道橋1128回

2022年6月26日更新



 見慣れない数字が並んだケイタイ番号だが、とりあえず受話器を取った。「もしもし…」と、相手は聞き覚えのありそうな声だが、誰かは判らない。それが神野美伽本人だったからうろたえた。前日の6月7日夜、中野サンプラザホールで、彼女のコンサートを見たばかりだ。
 「まだボディブローが効いてるよ。パワフルなんてもんじゃないね。うん、あなたの近ごろの姿勢には敬服してますよ。ホント…」
 大急ぎで前夜の感想を口走る。長い親交があるが、電話が来たのは初めて。終演後にスタッフから楽屋へ誘われたが、断って帰った後ろめたさもあった。
 タイトルからして「さあ、歌いましょう!」ってコンサートだった。第一部がいつものバンド神野組に東京キューバンボーイズのホーンセクションを加えて、「ヘイヘイブギ」「ジャングルブギー」「ホットチャイナ」…である。幕開けから身もココロも全開放の大音声が、聴く僕のボディーへめり込んで来た。敗戦直後の笠置シヅ子の奇跡についてコメントしたかと思えば、お次は江利チエミの再評価で「テネシーワルツ」「旅立つ朝(あした)」を取り上げ、「マンボメドレー」ミュージカルナンバーから「あの鐘を鳴らすのはあなた」までぶっ続けで休憩になる。
 《そうか、「江利」の日本語表記と、あちらイメージの「エリー」とでは、イントネーションが違うんだ…》
 神野のトークで知った新事実を反芻しながら周囲を見回す。着席のままの多くは茫然自失。買い物や化粧室を目指す高齢者の足取りは、おぼつかなげで、みんな神野魔術に圧倒されている。
 それはそうだろう。ふつうの演歌は歌手が切なげに身をよじり、歌声にシナを作り、吐息まじりの陰影を作るなど、差す手引く手で作品の哀愁ドラマを体現してみせる。ところが神野の場合は、伝えたい音楽的意志と自己主張が先にあり、作品はそのためのツールになる。いわばロックのノリで、歌たちは強烈なエネルギーで吐き出された。
 第二部はおなじみ「酔歌ソーラン節バージョン」に「海の伝説(レジェンド)」「日本の男」「千年の恋歌」「無法松の一生」「男船」などが並ぶ。演歌的哀訴は「浮雲ふたり」で聞かせたが、これさえもやはりスケールが相当に大きめ。これまでの演歌表現、常識の枠組みをとっ払って演歌を変えたいボーカリストとして活路を開きたい野心が、ステージにあふれている。選曲と構成の準備に時間をかけたろうことは、曲ごとに意味あいや意義に触れるコメントがついたことで察しがついた。
 貰った電話だが質問をニ、三する。ノドは大丈夫なの? には
 「平気、平気、あしたからは四国、ずっと歌えるからそれがうれしい」
 コロナ禍の2年余、その間に危機一髪の緊急手術をしているが、全快してるの、本当に? には
 「それは、まだきついですよ。でもだましだましね。ゆうべだって、そんな気配は見せなかったでしょ?」
 この人が近ごろあらわにしている正体は〝しなやかな野性〟みたいだ。
 江利チエミつながりになるが、6月15日午後には渋谷の大和田さくらホールで永井裕子の「酒場にて」を聴いた。「22周年記念リサイタル2022夢道Road to 2030」という催しで、20周年行事が延び延びになっていた。
 「同じキングの大先輩が亡くなって40年ということで、心して歌い継ぐことにしました」
 と言うチエミのこのヒット曲は、記念曲「櫻紅」のカップリングに収まっている。永井もやっと歌える喜び山盛りで「菜の花情歌」「そして…女」「愛のさくら記念日」「華と咲け」「ねんごろ酒」「勝負坂」などを、これでもか、これでもか…だ。
 《チエミ没後40年か、亡くなったあの日に大あわてで追悼文を書いた…》
 僕はスポニチの記者時代にあと戻りした。高倉健と離婚、3人娘の美空ひばり、雪村いづみともども新しい活路を手探りしていた辛い時期に、酔っての孤独死である。原稿に「酒場にて」の歌詞を引用したいがキングの人々は出払っており、手許に資料はないし、当然だがネットなどない時代。
 〽死ぬこともできず今でも、あなたを思い…
 という二番が切なく符合するのを、この曲を愛唱していた新宿のクラブのママをつかまえて、電話の向こうで歌わせて何とか間に合わせた。あれは〝かずみ〟という名の別ぴんさんだったが、今はどうしていることやら。