新歩道橋1141回

2023年1月22日更新



 《いいじゃないか、おしゃれなポップス風味。このほどの良さなら、彼女の演歌ばなれも歓迎だな…》
 出来たてほやほやの川中美幸の新曲「冬列車」を聴いての感想だ。作詞、作曲、編曲が田村武也。ほどの良さは、まず作品にあり、川中の歌唱がそれに寄り添っている。
 〽もうどのくらい眠っていたかしら、カタカタ揺れる窓が冷たい…
 歌い出し口語調の歌詞2行である。女主人公が乗っているのは、暗い海の底をゆく列車。海峡を越える失意の一人旅か? と聞き進むと、彼女は男の温もりを確かめるように顔を埋めたりする。
 道行きソングなのだ。この種の古典的作品なら、石本美由起作詞、船村徹作曲、ちあきなおみ歌の「矢切の渡し」がある。あれは男の決意に女が命を預けた悲壮感が歌の芯にあった。田村の今作は、何も言わずに道づれになる男の優しさに、女が心を預ける。そしてサビが
 〽離さないで、離さないで、行方しれずの冬の列車…
 と昂揚する2ハーフ。そのサビを2回繰り返したあとの最後の一言「離さないで…」は、メロも歌唱も月並みな収まり方をせず、未完の気配を残す。万事不透明、生きづらさばかりが先立つ時代なら、二人のこの歌の先行きも、あてどないままだ―。 流行歌はここ数年、静かだがはっきり地殻変動を示している。ことに演歌勢は歌謡曲へ、歌謡曲勢はポップス系への傾斜が目立つ。歌詞のあまりの古色蒼然に飽きたらぬ歌手周辺が、求めた活路がポップス系のカバー。思い思いの選曲で独自の色あいを作る歌手が増えたが、オリジナルとなると書き手が見当たらない。シンガーソングライターに依頼しても、坂本冬美の「ブッダのように私は死んだ」では面白いが極端すぎよう。昔は歌手たちを半歩ないし一歩前進させる才能がいた。例えば「シクラメンのかほり」の小椋佳「襟裳岬」の吉田拓郎「飾りじゃないのよ涙は」の井上陽水「かもめはかもめ」の中島みゆき…。
 田村武也はその点、はなからほどが良いのだ。作、演出を担当する劇団の名が「路地裏ナキムシ楽団」標榜する音楽が「青春ドラマチックフォーク」で、上演回数を「第○泣き」と数える。昭和テイストの情感を〝涙〟をスパイスに表現したうえで、感性やセンスの基本が今日的。新しい流行歌を書く資質がドンピシャリの感がある。
 川中は「ふたり酒」のヒットで第一線に浮上した。〝しあわせ演歌の元祖〟と呼ばれた仲間は作詞のたかたかしと作曲した弦哲也。その後川中・弦は親密な交友と歌づくりを続け、お互いを〝戦友〟と呼ぶ。本人はあまりそれに触れたがらないが、田村はその弦の一人息子。独自の音楽、演劇活動が長いが、父の歌づくりもまた身近で知り尽くしていた。川中とは初仕事だが、彼女が狙うべき路線と彼が書きたい世界の接点は、はっきり見えていたろう。父は日本音楽著作権協会と日本作曲家協会の会長を兼ねている。最近彼の事務所弦音楽企画の代表取締役は息子に禅譲した。父子ともに新しい年への線路を敷いたばかりだ。
 親交のある人たちの、新年の魅力的な挑戦に触れるのは、うれしいものである。親友の歌手新田晃也からは、昨年12月5日ファイナル・ミックスというメモつきの新曲が届いた。「旅の灯り」と「さすらい雲」の2曲で、本人の作詞、作曲。ここしばらく作詞を石原信一に任せた新機軸を歌って来たが、もともとの演歌系シンガーソングライターに戻って、ひと勝負の年にする気らしい。集団就職列車で福島を出て、夢を捨て切れずにこの道へ入って以後独立独歩、ひところは銀座で名うての弾き語りも体験したベテランで、新曲は古風な失意の女の夜汽車ものだ。
 僕は新聞記者出身のせいか、まず新しいものに眼が行くが、演歌の古風も決して否定する気はない。そういう歌を支持するファンはいるのだし、極みの完成度を目指す意欲なら尊いと思っている。好きになれないのはその古さにどっぷりの安易な歌づくりだけだ。しかし面白いと思うのは、僕ら旧世代の流行歌が〝泣きたい一心〟が基本だったこと。だから新田も、同じ世代に並べては申し訳ない川中も、歌唱の軸が〝泣き節〟になっている。田村の作品から感じるのは、ご時勢ふうの泣き方の変化、泣き過ぎぬ抑え方がおしゃれだと思うがいかがなものだろう。
 もう一人おまけみたいで悪いが、ブラジル出身の年下の友人エドアルドからは、
 「2023年、新曲〝夢でもう一度〟をリリース、トップに立ちます。力をください」
 という年賀状が来た。さて、どういうふうに手伝おうか?