新歩道橋1142回

2023年2月13日更新


 
 《結局、俺は「酒」が好きだった訳じゃないんだ》
 と、今さらながら気がついた。スポーツニッポン新聞社勤めからその後の雑文屋ぐらしは、月曜から金曜まで、仕事先の方々や仲間内と、毎晩酒を飲んでいた。それがここ3年ほどのコロナ自粛である。加齢による不具合があちこちに出て来て、外出、外食も控えたから、アルコール類とは縁遠くなっていた。それでは〝呑ん兵衛〟を自他ともに許していたあのころの暮らしは、一体何だったのか?
 《つまり、俺が大好きなのは「酒」そのものではなくて「酒盛り」だったんだな…》
 今ごろ何を言ってんのよ! と、顰蹙を買いそうだが、これが結論である。要するにグビリグビリと晩酌をやるタイプではない。仲間うちでよく言えば談論風発、ありていに言えば、ラチもないおしゃべりに興じる会合が大好き。つまり長年そんなふうに人の縁を泳ぎ回って、すっかり持病にした成人病が「人間中毒」「ネオン中毒」なのだと自分の正体がはっきりした。
 きっかけになったのは1月30日に月島で開いた〝小西会〟の総会!? である。ここ3年、誰とも会っていない。去年の夏にはコロナ陽性の入院騒ぎ(無症状)をやり、その後人前に出ていないから、メンバー諸氏が心配してくれていた。音楽業界の面々に元スポニチの仲間だが、かかって来る電話は「安否確認」である。古いメンバーが亡くなった例もあるし、みんな年寄りだから、あちこち傷んでもいる。あんたは実のところどうなの? の問いに、一ぺんに答えようと全員集合! の声をかけた。案の定体調不良組もおり、集まったのは22人で、開宴は午後4時。
 幹事長の徳永廣志ははたち過ぎから僕んちに出入りしていた。作詩家協会石原信一会長は、大学を卒業した時分からのつき合いだから、お互いにやたら若かった。美空ひばりの息子・加藤和也が「うるせえな、もう寝ろよ」と、深夜、ひばりさんと盛り上がっていた酒宴に文句をつけたのはまだ小学校低学年のころか。彼ももう50代なら、その隣りで一座を見回し、大いに面白がっている有香夫人と会ったのは、いつごろだろう? つかつかと僕の面前に現れて、
 「高知から今、つきました!」
 と口上に及んだのは、歌手の仲町浩二で、スポニチの後輩。歌手になりたい一心で僕に密着していたのが定年を迎えたので、一度くらい〝いい思い〟をさせようと、CDを一枚出した。本人はすっかり〝その気〟で、故郷の高知を拠点にがんばってもう10年余になる。
 《3枚めのシングルは、これっきゃないな!》
 と、「高知いの町仁淀川」とごくピンポイント狙いのご当地ソングを作ったら、地元が大騒ぎになった。作詞がご当地出身で、星野哲郎の弟子紺野あずさ、作曲が仲町を弟子みたいにかわいがってくれている岡千秋。プロデューサーの僕が手ばなしになるくらい、いい作品に仕上がって、本人は意気軒昂なのだ。
 この日の会場は、月島のもんじゃ屋〝むかい〟で、実はこの店1月末日で閉店が決まっていた。
 《それならこの際、さよならパーティーも一緒にやろうか!》
 という趣向になった。もともと銀座5丁目で「いしかわ五右衛門」という小料理屋をやっていたのが、再開発立ち退きで月島に移り、商売替えをした。五右衛門からむかいまで、僕が通いつめた年月は40年を越える。
 銀座には阿久悠、吉岡治夫妻、三木たかしら大勢を招いた。月島には仲町会の弦哲也、四方章人、南郷達也、若草恵、亡くなった前田俊明らもやって来た。その他メーカー各社の腕ききディレクター、プロダクションのお仲間など、みんな僕の人間中毒、ネオン中毒の基を作った人々で、酒宴はいつも笑い声が絶えなかった。
 五右衛門の店じまいも小西会がさよならの会を開いた。今度はむかいのお別れパーティーである。宴の終盤には大将とお女将さんも加わる。もともと腕のいい板前の料理と、気っ風のいい女将のもてなし、音楽抜きの話しやすさが美点の店だった。今度もまた再開発、立ち退きと、同じ理由の閉店というのも珍しい。だが待てよ―。
 これを機に二人は商いを卒業するという。年が年だから3軒はナシだ。とするとこの夫婦との40年余、親戚以上のつき合いはここで絶えることになる。生涯もう会えないのは寂し過ぎようと2人を小西会に招き入れることにした。思いつきだが、二人を大喜びさせて縁つなぎの名案になったと思っている。