新歩道橋746回

2010年9月27日更新


 
 「なかなかいい。芝居が自然で、何もしないところが、いい」
 ベテラン劇作家小幡欣治の一言である。9月8日、初日をあけた東宝現代劇75人の会公演「喜劇・隣人戦争」に出た僕への指摘。こちらはただただ低頭するしかない。池袋の東京芸術劇場小ホールで、大汗も冷や汗も一ぺんにかいたあとの、ビアホール〝ライオン〟でのこと。
 小幡は菊田一夫ともども、東宝の演劇を支えて来た大物。相当なうるさ型であることは、丸山博一、横澤祐一ら75人の会幹部の接し方でもはっきりする。「隣人戦争」はその小幡が30年ほど前に書き、今回は丸山が演出した。けいこの時からしばしば、その名前と叱咤激励ぶりが語られていた。その人からの好意的発言である。
 《しかしなあ、何もしないからいいと言われても、何も出来ないのがこちらの現状だしなあ…》
 と、僕は内心たたらを踏む。隅田大造71才、若いころは建具屋をやり、今は東京近郊の建て売り住宅ずまい。婿は船乗りで不在がち、その嫁と孫と暮らして、なぜか小学校へ通う、向学心の持ち主だ。そんな役を初演の時は宮口精二がやった。独特の芸風で知られた性格俳優だから僕は、役を貰った時からプレッシャーのかたまりを抱え込む。
 台本は書き込みだらけになって、ひとりでに演出家丸山語録が出来あがる。
 「言葉じゃなくて、活字のセリフが聞こえて来るヨ」
 「セリフの中のキイワードを捜して! これだけはきちんと伝えなければいけない言葉が、必ずあるんだ」
 「テンポは早めでいく。客はテレビで慣れてるから」
 「神は細部に宿る。掘り下げ方が浅いか深いかは、芝居を一目見れば判るヨ」
 「やり過ぎはやらな過ぎより悪い。アンサンブルを壊すからね」
 「いろいろ考え尽くし、やり尽くして、結局台本通りに戻る。書いてある通りにやればいいのさ」
 8月いっぱい、錦糸町の隅田パークスタジオのけいこ場で、僕の耳はダンボになりっ放し、することなすこと試行錯誤になる。僕へのダメはあまり出ない。馬なりで行けと言うことか、出来ないことは言っても仕方がないということか。心中は千々に乱れながら、共演する人々への演出家の注文を、自分への戒めに置きかえて噛みくだくしかない。しかし、そんなヒリヒリした時間が、とても嬉しくてとても楽しい。
 75人の会から声がかかったのは今回が2回目。昨年は菊田一夫作、横澤祐一潤色・演出の「浅草瓢箪池」で、踊り子のパトロン大原という、とてつもないもうけ役を貰った。今年は制作に回ったその横澤に見守られながら、またしても風変わりなもうけ役である。出て来るだけ、ちょこっとしゃべるだけで、ちゃんと受けるように書かれている台本。だから「自然に…」なのだが、どうやれば自然になるのか?は永遠のテーマだ。
 頭がい骨の裏側がジンジン熱を帯びて、外側へあふれそうになる。これが芝居をやり終えた時の、得も言われぬ快感である。アドレナリンが湧きまくるのか、喜んだ血が駆け回るのか、見当がつかないが、これが必ずやって来る。丸山語録の「悪魔は二日目にやって来る」を実感するくらい二日目には、セリフを噛み、流れが淀み、相手役に迷惑をかけても、苦渋と裏表でちゃんとその快感は来る。これだから芝居はやめられない。
 けいこ1カ月、本番が5日間7公演、夢のような日々の中で相当に疲れた。あれはきっと隅田大造と小西良太郎の虚実の世界を往復して、二人分を呼吸してみようなどと、不逞な了見を抱え込んだせいだろう。そう思いながら今年も温かく優しく、仲間に入れてくれた劇団の人々の顔を思い返す。12日に芝居が終わっても、それやこれやを引きずりながら翌13日は、浅草へ出かけた。村田英雄生誕80年を期して、山田太郎が「花と竜」を歌う会だが、ここから僕は、歌社会に舞い戻った。
 

週刊ミュージック・リポート