千里を走る虎よりも、一里を登る牛になれ…
島津亜矢の歌声は、「出世坂」の幕あけから圧倒的だった。3月30日昼の明治座。「挑戦」と名付けた今年のコンサートは、歌手生活25周年の節目のイベントでもある。彼女が喪章をつけているのは、東日本大震災で亡くなった人々に哀悼の意を表してのこと。
《声千両、それが宝だよな…》
客席の20列29番で、僕は何度もそう思った。北島三郎の「なみだ船」を仁王立ちで歌ったが、今日この曲をこんなボリュームと迫力で歌える歌手は、他には居まい。ピンクのロングドレスでの「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラブ・ユー」はホイットニー・ヒューストンのヒット。音域の広いこの曲で、亜矢は四つ以上の声の当てどころを感じさせた。よく響く中音と低音、張りつめた高音はファルセットに抜くものと、そのまま押すもの…などだ。フィーリングも別人か?と思わせる多彩なボーカリストぶりで、演歌1曲ではここまでの声は使っていない。
《宝のその2は星野哲郎か…》
とも思う。最近の「大器晩成」「温故知新」にいたるまで、亜矢のレパートリーの軸は星野作品。「海鳴りの詩」や「海で一生終わりたかった」には、星野本人の述懐の色が濃いが「海で…」は船村徹が書いた相当な難曲。それを亜矢は自家薬篭中のものとして、ゆとりさえ聞かせた。歌手生活25周年の成果だろうが、亜矢の世界には独特の活力の向こう側に、人間味の奥行きが生まれている。心の揺れ幅が息づかいに伝わり、情のこまやかさが歌に陰影を作っている。
《お客を納得させるのはこの人の熱演型一人芝居か…》
僕をニヤリとさせる演し物は3本。「忠治侠客旅」5分27秒と「元禄花の兄弟赤垣源蔵」9分10秒が浪曲仕立て、大詰め「明治一代女」からの「お梅」は17分の一人歌芝居だ。髪振り乱したお梅が、炎の照明、せり上がるスモークの中で自害して果てるのが熱演の幕切れ。
「お疲れさん!」
を言いに楽屋へ回ったら、上手そでから戻った亜矢は息も絶え絶えで、僕にもたれかかる消耗ぶりだった。
「これですから、ファンの幅が広いんです。社会的に成功された有力者までですね…」
隣りの席で感に耐えぬ声になったのは、亜矢が所属するテイチクレコードの西山千秋社長。セールスセクション出身のこの人は、自社の歌手のイベントには皆勤のこまめさで、CD即売コーナーでは声張り上げて客を呼ぶ気さくさを持つ。この日は亜矢が歌った「ゴールドフィンガー」の「アッチッチ」に合わせて、てのひらの表、裏、両手を合わせて払って、払って…の振りを僕と一緒にやった。
その西山社長が注目したのは、阿久悠の遺作で作る亜矢のアルバムからの2曲。「運命~やっと天使がこっちを向いた」が浜圭介、「恋慕海峡」が弦哲也の曲だが、
「ええね。うん、ええですわ、これは…」
社長はその気になると、しばしばコテコテの大阪弁になる関西人なのだ。
中央の階段をはさみ、舞台全体に向かって右側、つまり上手には管楽器群、下手にはリズムセクションのミュージシャンが並んでいた。そのトランペットからギターまでの間隔は、舞台の4分の3ほどに広がる。
「俺、あそこからあそこまで、あんなに長いとこを、セリフを言いながら歩いたんだ…」
僕はバンド演奏の間にふと、そんなことに気づいてドキッとした。明治座は3日前の27日まで、川中美幸公演「天空の夢・長崎お慶物語」を上演していた。その一幕四場で、僕の豪商小曽根六左衛門が、川中のお慶さんを諭しながら庭を横切る。19回もやりながら、その距離に全く気づかなかったのは、座長と差しの芝居の長ゼリフに緊張しきっていたせいだろうか。
ちなみにこの芝居、好評再演が11月、この劇場で決まった。川中一座の僕は、嬉しさのあまりに飛び上がったままだ。