新歩道橋769回

2011年4月22日更新



 「あなたじゃ、あなたじゃ、あなたじゃわいなあ」と、芸者小染の吉野悦世が取りすがる。すがられる葛西屋儀兵衛が僕。こう書くとちょっとした二枚目ふうだが、老新米役者にそんな役が恵まれるわけがない。場所は茶店、床几にかけて茶をすすっていた僕は「あなたじゃ」の2回目あたりでギョッとして立ち上がり、相当あわてふためいて、最後の「あなたじゃわいなあ」で、口中の茶をブワーッと噴き出す。照明の中でそのしぶきが盛大に広がって、客は大笑い――。
 また芝居の話か!?と冷やかされそうだが、その通り。僕の4月は14日昼と18日昼夜の3回、浅草公会堂の「大衆演劇祭・竜小太郎VS大川良太郎」への参加だ。竜はご存知〝流し目のスナイパー〟で東の代表、大川は劇団九州男の座長で西の代表、二人揃えば「東西人気花形役者・夢の競演」と、ポスターの惹句も浮き浮きするくらい、それ風の催し。第1部が人情時代劇「まごころ草紙」第2部が「豪華絢爛!舞踊・歌謡ショー」と来た。
 冒頭に書いたシーンは、その「まごころ草紙」の一場面。お察しの通りのコメディーで、それも大衆演劇の舞台で…と、僕の少年時代の夢が一気に満たされたあんばいになる。芸者に入れ挙げた大店の若旦那(高橋浩二郎)が50両の借金を背負った。金貸し葛西屋の僕が、その抵当にとったのが雪舟の掛け軸。
 苦境の若旦那と芸者を救おうと、大工の良二(大川)と妹のお半(竜)が考えついたのが美人局。もう一組、芸者とその兄(藤田信宏)も美人局を思いつく。葛西屋はその両方の「あなたじゃ、あなたじゃ…」にひっかかり「間男みつけた、金を出せ!」に仰天、舞台を逃げて這い回ったり、お茶を噴き出したりすることになる。
 竜が演じるお半は、小柄で可憐な娘だが、幼いころに事故に遭って知的障害を背負った。それをいたわり、かわいがる兄の良二を大川がやるが、こちらは粋でいなせな江戸っ子大工という設定。この二人が美人局の練習をし、本番を幾つか決行!?するのだが、やりとりの呼吸と間合いが絶妙で、お得意のアドリブの応酬もちょこちょこ。そんな芝居のけいこが何と実質5日間、しかも大川は他の仕事で遅れて入って来て、3日間できちっと仕上げてしまった。
 《えっ、まさか、嘘!…》
 僕なんか、ただただ恐れ入るばかりだ。
 3月の明治座川中美幸公演「天空の夢」では、豪商小曽根六左衛門をやった。この一座でもらった役は、火消しの元締、俄か成金、西郷隆盛、道場の主、船宿や旅館の主人など、年かっこうが地に近く、鷹揚なキャラがほとんど。今回も金貸し…と、なぜか妙に金に縁があるのがオカシイが、ものがコメディーである。僕は脚本・演出の小国正皓から、動きや身振り、しぐさなど、体を使う芝居のけいこでしっかり指導を受けた。さりげないのからドタバタまで、その的確なこと、まさに目からウロコ…で
 《この人は、芝居の引き出しの宝庫みたいだ…》
 と感じ入る。
 秋田県での高校演劇で〝その気〟になり、石井均一座に入り、曽我廼家家庭劇に転じて…と、商業演劇界の縦断ぶりを世間話ふうに語るこの人は、喜寿を越えた大ベテラン。それが細いズボンにジャンパー、ハンチングと、今ふうな若作りが似合うから、これにも脱帽!だ。
 しかし、笑いを取るためのけいこというのは、体がきしむもので、両ひざにサポーターをしてもアザが出来、かすり傷に風呂の湯がしみ、思いがけない部位の筋肉がしこる。そんなに激しいけいこか?というと決してそうではなくて、そのくらいなまってしまった老体を、急に動かすとこうなるという話。
 しかし、まだウロ覚えのセリフと、それを形にふくらませる仕草と、二つのことを一遍にやるのはなかなかの難事業。ぶっつけ本番みたいな14日は、大いにとっちらかったが、この欄が世に出る18日にはどう収まっているか? 体の節々への手応えが、だんだん快感に変わりつつはあるのだが…。

週刊ミュージック・リポート