新歩道橋778回

2011年7月15日更新



 「もしかして、あれはあいつじゃなかったか? 妙に似ていた…」
 地下鉄の中でふと思いついた。駅についてその男に電話を入れる。
 「お前さん、美空ひばりのブラジル公演で、司会をやったか?」
 相手はけげんそうな声で答えた。
 「ええ、やりましたよ。でも何でまた、そんな古い話を…」
 僕はすぐに、もう一本の電話をする。今度はひばりプロの加藤有香専務、ひばりの息子加藤和也氏の夫人だ。
 「ねえ、もし体があいてたら、今夜6時過ぎに銀座のあの店へ来ない? 40年前のお化けが出た。ぜひ会わせたいんだ」――。
 ひばりのブラジル公演は1970年8月8日から3日間、サンパウロのイビラプエラ体育館で開かれ、3万6千人の観客を熱狂させた。「美空ひばり公式完全データブック」によれば、6日空港には軍総司令官や国、州の高官、連邦議員、州議会議員らが出迎えて国賓扱いの歓迎をしている。昭和45年、日本では大阪万博が開かれ、作家三島由紀夫が自死したあの年で、ひばりは33才だった。
 それから41年後の6月28日夜、有香さんに引き合わせたのは、友人北川彰久。毎年NAK(日本アマチュア歌謡連盟)の全国大会に、ブラジル代表を引率して来るから、かれこれ15年ほどのつき合いになる。ブラジルの音楽界で多岐にわたって活躍、あちらの日系社会ではちょいとした知名人。今年はNAKの大会が自粛中止となったため、単身来日、東日本大震災で被災した仲間の会員を慰問、激励に回った。滞日期間中に一夜、一杯やるのが僕らの恒例で、
 《そう言えば…》
 となったのが、今年の約束のその日の午後。
 ひばりの23回忌法要が営まれたのは、6月20日夕、帝国ホテル。そこで彼女のブラジル公演の映像が流された。発起人の一人として出席した僕は、ステージでひばりを声高に紹介する男に、
 「ン?」
 となる。そのシーンはほんの一瞬だけのものだったが、長身やせぎす、細面の額の広さに、見覚えがある気がした。法要はひばり一家と親交のあった人々600人が着席した大掛かりなもの。僕には閉式のあいさつという大役があったから、そんな気がかりは、すぐに脳裡から消えた。
 話は銀座の夜へ戻る。
 「ああ、やっぱりそうなんだ!」
 入って来るなり有香さんは嘆声をもらした。苦労して入手した映像だから、彼女は全編を何度も見直している。その幕切れで北川は、何事か大声でひばりに訴えかけ、客席に向き直ってまた何事かを叫んでいた。それが司会者からの「アンコール!」だったことが、二人の会話の中ではっきりする。資料が少ない海外公演の実態が、この夜相当にレアに沢山語られることになる。
 法要のあいさつで息子の和也氏は、ひばりについて「現役」という言葉を何度が使った。没後22年の今も、強烈な存在感を示す母親の〝人と芸〟についての実感。それに加えて、〝ひばりの世界〟をより大きくより広く、若い世代にまで伝え、継承していく視点と決意をこめてのことだったろう。そういう大仕事のよきパートナーが有香さんである。事業のグランドデザインを和也氏が考え要所を締めて、実務を有香さんが一手に引き受けるのが、二人の役割分担だ。
 ひばりの業績を細部まで掘り下げ、ひばりの魅力を再構築する資料を求めるのも彼女の仕事である。北川の帰国後、こうして結ばれたパイプは、興味深い多くのことを生み出していくだろう。
 「こんなことってあるんですね。それも、よく連れてきてもらうこのお店で…」
 感嘆しきりの有香さんと北川を見比べながら、 《加藤家三代とのつきあい、ひばりさんとの縁は途切れずに続くなあ…》
 ひょんな思いつきで生まれた一幕に、僕もひととき感慨ひとしおのものがあった。

週刊ミュージック・リポート