新歩道橋784回

2011年9月17日更新



 「ガキのころから川並で修業して来たんでね。いつまでも筏乗りのつもりでいちゃあいけねえとは思うんだけど、三つ子の魂百までってから…」
 こんないいセリフがある。劇団東宝現代劇75人の会の第26回公演「水の行方―深川物語」で、僕が貰ったのは銘木店の番頭役。時代は昭和30年代から40年代、深川の木場が新木場へ移転を強いられた時期で、古いいいものと新しい変化の葛藤が濃い日々…。
 僕は嬉しさにはずむ足どりで、連日けいこに通っている。8月27日から有楽町・帝劇地下のけいこ場で読み合わせ、9月6日からは大森のバーディ企画のスタジオで立ちげいこ。葉山の海の夏の名残り、季節のうつろいなどには目もくれず、午前中に出かけ深夜に戻る。猫の風(ふう)とカミサンは、またしばらく他所の人になる気だ…と、呆れている。
 作、演出は横澤祐一。この欄ではおなじみになった名前だろう。東宝現代劇を代表するベテラン俳優の一人。僕は5年前の明治座川中美幸公演で一緒になり、初舞台のガタガタを支えてもらった。引き続き大阪松竹座の「妻への詫び状・作詞家星野哲郎物語」でも一緒、ひとかたならぬ世話になる。言わばこの道の師匠格、それが酷暑の夏に深川近辺を調べ歩き、うんうん唸りながら書き上げた労作である。
 《何としても出して貰いたい…》
 去年からそう思っていた。一昨年から「浅草瓢箪池」「喜劇隣人戦争」と、2年連続でいい思いをさせてもらった。しかし、公演そのものは劇団の自主公演で、僕は外部からの参加。「今回も…」なんておねだりは立ち場上、口に出来る訳はない。へどもどしているところへ同じ時期、さる大劇場への話を貰った。申し訳ないけどと低頭して断り、横澤氏あての年賀状を作ってさりげなく一行、体を明けたと伝えた。それが今年の正月、作戦成功の出演依頼に接したのは7月…。
 セリフ劇である。微妙な意味合いを秘めた言葉が、舞台上で交錯する。そのフレーズや言い分が、のちのち進行するストーリーや、登場人物の心の動きの綾になる。油断も隙もならない縦糸横糸だが、考え過ぎればセリフが重くなる。
 「小西さん、そこのところは軽くねえ」
 「こう動いて、こう見上げて、ああそうか…と、こう収まるといいかな」
 横澤氏が出すダメは、口調優しげだが、眼鏡の奥の眼の光が強い。台本を読めば話の展開を知ってしまい、それがセリフの色に出る。ところが話がまだ進展途中だと、そんなニュアンスは不要に決まっている。頭でそう判ってはいても、新米の悲しさでついつい引きずられる情けなさ。横澤氏のお手本の動きや仕草がまた、うっとりするくらい巧みで…。
 公演は大江戸線清澄白河駅近くの深川江戸資料館小劇場で、10月7日から10日までの4日間6回。「ずいぶん前からけいこなんだね」と、驚く友人がいるが、僕にはそれもたまらない魅力。けいこ場のあれこれ、けいこ後のちょいと一杯で出て来る芝居談義が、みんな血となり肉となる気分だ。何しろ、70才からの一念発起、人もうらやむ老後にしても、芝居の基礎も素養もまるでないまま。それが玄人さんたちの間へ割り込むのだから、どんな手掛かりでも片っ端から欲しい。そんなわけで東宝現代劇75人の会は、僕にとっては絶好の修業の場、宝の山なのだ。
 冒頭のセリフに戻れば、僕はガキのころからスポーツニッポンで修業して来た。いつまでもブンヤのつもりでいちゃいけねえとは思うんだけど、三つ子の魂百までってから…と、置き換えることも出来る。これは横澤氏のいましめなのか、僕の我田引水なのか…。
 今公演、お話の舞台が深川、上演劇場が深川であるうえに、僕の旧職場スポニチも越中島にある。伊勢屋、吉野屋、魚三など、なじみの店名が出て来たりするが、社屋のあるあたりは、当時は埋立地。台本のエピソードのあれこれに「なるほど」「なかなかに…」と余分な感慨まで去来する日々である。

週刊ミュージック・リポート