新歩道橋790回

2011年11月22日更新


 
 《もしかすると〝当たり狂言〟って奴が生まれる、その瞬間に立ち合っているのかも知れない…》
 決して大仰ではない実感が、日々募るのである。11月明治座の川中美幸公演「天空の夢・長崎お慶物語」に参加していてのこと。客がよく笑い、時に泣いて、反応が相当にビビッド。
 「いやあ面白かった」
 「各シーンにヤマ場があって、2時間ほどがあっという間だ」
 「脇役の若い子たちまで一生懸命で、雰囲気がホット。気分がいいよ」
 僕の楽屋へ現われる歌社会のうるさ型の感想が、一様に作品論から入る。以前は、
 「あれだけのセリフを、よく覚えた。大したもんだ」
 などと、僕の記憶力だけにコメントした向きまでがそうなる。
 幕末の長崎を舞台に、お茶の貿易商として名を成した大浦屋お慶が主人公。老舗の油屋を見切って起業、男尊女卑の偏見や既存業者の組織的圧力などと戦う生き方が描かれる。からむのが茶の仲買人で意気投合、後に大浦屋の番頭になる男や、お慶の義母、離縁される若旦那、勝海舟と勤皇の志士たち、きれいどころと長崎の風物…。
 お慶の川中がのびのび活き活きしている。女としての自立から大成までの、意志の強さ、行動力と、人情もろさや優しさ温かさを、ごく自然に演じていく。お慶の苦労人ぶりと、川中の人柄や半生が巧まずして重なるのがこの作品の特色。共演の勝野洋、土田早苗、仲本工事、石本興司、紫とも、奈良富士子らも、お人柄やキャラで、役柄を際立たせる。
 脚本の古田求と演出の華家三九郎(元NHKの大森青児氏)は長年のお仲間と聞いた。平易な表現と要所々々にちりばめられたいいセリフ、エピソードつなぎで作るドラマチックな起伏、出演者が求められるのは、役柄への率直なアプローチ、形式や技巧を排した表現、集団としてのエネルギー、それが生み出す快いテンポ。僕は役を「こんな時、どういうふうに考えるかなあ?」「だとすると、こんなふうに言うのかなあ?」をつないでいくしかないが…。
 この芝居は3月に同じ劇場でやったものの再演。3・11の東日本大震災のために、公演回数が短縮された経緯がある、今回は決してその穴埋めでも追加でもない。同年内に同劇場で再演というのは極めて稀なケースだそうで、作品のよさとヒット性が評価、確認されての措置。劇場公演を毎回、新作で頑張って来た川中にとっても珍しいケースだが、作品そのものがこの人のレパートリーになる可能性が生まれた。冒頭に書いた実感は、そんなあたりに根ざしている。
 ところでお前は何をやってるの?と聞かれそうだが、これが望外の大役。豪商小曽根六左衛門という奴で、川中のお慶とは昔なじみのおじさん。それが資金の調達に訪ねて来たお慶の、商人としての甘さを叱り諭して一場面を作る。川中と差しの芝居がほぼ6分、翻意させ泣き崩れさせる滅法いいシーンとセリフを貰った。静まり返った客席の凝視の中で体験するのは、50%の緊張、30%の必死、10%の戦慄、恥ずかしながら10%の陶然…の日々である。
 「おじさん!」
 と、ひたと僕を見上げる川中の眼には、いつも涙があふれている。それを振り切って去る僕も目頭が熱い。その舞台裏、脱ぎ捨てて出た自前の雪駄が、きちんと揃えられて僕を待つ。3月公演からずっと毎回続く、共演の女優さんの心尽くしだ。
 楽屋内外に笑顔が行き交ういいチームなのだ。僕はベテランの植松鉄夫、伊吹謙太朗と世間話をし、丹羽貞仁、綿引大介、大森うたえもん、小坂正道、倉田英二やショーの振り付けもやったダンサーの安田栄徳らと時おり盛り上がる。石原身知子はアメリカへ勉強に行って来て、どこかが少しいい方へ変わった。
 「いいじゃないか。芝居に深化の気配がある」
 演出家からある日、過分な言葉を貰ったが、3月の初演の時と、どこがどう変わったのか、本人には判らない。めったに体験出来ないが、ドライバーショットが芯を食った感じの、あの手応えなのか…などと手をこすってみたりする。閉口するのは一点、目張りで入れた黒が、瞼のシワにしみ込んで日々取れにくいこと。やっぱり年か――。

週刊ミュージック・リポート