新歩道橋795回

2012年1月20日更新


  
 何よりもまず、集中力の凄さに脱帽した。名取裕子の「新春朗読特別公演」で、題材は川口松太郎作「人情馬鹿物語」から「遊女夕霧」と「七つの顔の銀次」の二編。大正末期の深川・森下を舞台に、江戸っ子の人情物語を、面白おかしくしみじみと、ちょいと小粋に…という世界だ。登場人物のやりとりは芝居、話を運ぶ文章部分は朗読で、一作ほぼ50分、名取は悠揚せまらぬ流れを作り、時に情感のうねりほど良く、言い淀む気配など一カ所もありはしなかった。
 1月5日、日本橋蛎殻町の日本橋劇場で開かれた会の二日目を見に行く。
 《詰めれば〝日劇〟で、何とも懐かしげな響きの劇場名じゃないか》
 僕は昔々、毎週のように取材に出かけた日劇を思い出した。都はるみや五木ひろしの初舞台を見た。ウエスタンカーニバルでは、ザ・スパイダースの楽屋で、田辺昭知から白土三平のマンガの面白さを教わった。今日の日劇はキャパ400余のこじんまりしたホールで、ちゃんと花道まであっていい雰囲気。
 「人情馬鹿物語」は、川口が講釈師悟道軒円玉の家に居候をしていたころの見聞記だという。吉原の花魁・夕霧が、自分に入れ上げ身を持ち崩した呉服屋の手代を救おうと奔走するお話が「遊女夕霧」足を洗った名うてのスリの銀次が、恋心を寄せる娘のために、一度だけ元の稼業に戻るお話が「七つの顔の銀次」――。
 1階8列13番は、横断する通路に面した席の中央。足をのばしてゆったりと、名取の魅力にひたるには十分のところで、左隣りには演出の岡本さとるがいる。緋毛氈を敷いた床几に、名取はやや斜めに腰をおろす。作曲もした新内剛士の演奏が道づれで朗読が始まる。台本を両手に開いたまま、名取は時折すっと立ったり少し歩いたりする。登場人物の激し方によるものだが、あわせて彼女の艶やかな着物姿が、目を楽しませる趣向だろうか。
 「彼女の、作品の読み込み方は相当なものです。小説一編ずつが、彼女の胸中にすっぽり収まっているんじゃないですかね」
 演出の岡本がそんなふうに言う。50分間一度も途切れぬ緊張感の維持と、それすらも感じさせぬ仕上がりの理由を探す僕への答えだ。
 《ふ~む…》
 と僕は唸るしかない。芝居なら舞台に出ていない場面がある。出ていても主役が芝居をしている時は、それなりのたたずまいで、居るだけの個所もある。緊張の度合いに多少のゆるみたるみは生まれるものだ。ところが朗読という舞台は、一人っきりの出ずっぱり。呼吸まで物語のそれと重なるのか!?と思うくらいの濃密さが続く。
 僕の初舞台は6年前の明治座川中美幸公演。その次が大阪松竹座「妻への詫び状・星野哲郎物語」で、名取と一緒だった。その後、千住のシアター1010で名取主演の「耳かきお蝶」に出て、何と彼女のひざ枕で耳をかいてもらうご隠居をやる光栄にも浴した。それやこれやのご縁のアーティスト・ジャパン岡本多鶴プロデューサーが、今回の名取公演も制作した。
 《そう言やあ…》
 と、耳まで赤面したのは、暮れに日比谷公会堂でやった「星野哲郎メモリアル・水前寺清子コンサート」の件。僕は生ナレーションふうに舞台で台本を読んだが、滑舌はいい加減、言葉は噛むしいい直しはやるしの体たらくを、岡本プロデューサーに見られていた。
 1月5日のこの日は、僕の個人的仕事始め。いいものを見せて貰い、大いに勉強になった…と、殊勝な心がけで、レコード協会の新年会に顔を出し、飲み屋にも寄らずに葉山の自宅へ戻った。
 それと言うのも本年、大いに期するところがあるせいだ。「浅草瓢箪池」「喜劇隣人戦争」「水の行方・深川物語」と、3年連続でいい役を貰った東宝現代劇75人の会に、正式劇団員として参加を許されたのが一つ。明治座川中美幸公演でこれまたこの上なしの役を貰った「天空の夢・長崎お慶物語」が、7月、大阪新歌舞伎座で再演されることがもう一つ。何もかも勉強、また勉強のいい年になりそうだ。

週刊ミュージック・リポート