新歩道橋796回

2012年1月29日更新


 
 由紀さおりに電話で「祝意」を伝えた。アルバム「由紀さおり&ピンク・マルティーニ1969」の成功について。日本でも大きな反応を呼んでいるが、日本語で日本の流行歌を世界へ!のコンセプトが、EMIから全世界へ発信中。その陰にある彼女の、自分の歌世界を一途に守って来たこだわり方と、やると決めたらとことんやる行動力に敬意を表した。
 「なんだかねえ。こんなことになっちゃったでしょ、本人が一番びっくりしてるのよ」
 あははは…と由紀は、屈託なげに笑った。彼女の曲「タ・ヤ・タン」を歌っていたピンク・マルティーニと接触したのが一昨年の夏から秋、それがジョイントする話に進むのが昨年の春。そこへ3・11東日本大震災である。オレゴン州の日本人会と彼らが支援コンサートを開き、由紀が飛んでいって参加した。やがてアルバムづくりが進み、強行軍の吹き込み、発売が10月…である。舞台裏では相当な曲折もあったが、由紀の達成感も、あれよあれよ…だったかも知れない。
 彼女は長く、姉の安田祥子と童謡を歌い継いで来た。それとは別にソロで〝21世紀の歌謡曲〟の手探りを始める。それが前面に出たのが一昨年の40周年コンサートだったが、僕は語弊があるのを承知で、
 「卵に目鼻みたいなツルっとした境地から脱却しようよ」
 と、乱暴にそそのかした。歌声も唱法も彼女なりに整っているのを壊し、より実感的により本音っぽく、自分をさらしてみてはという提案。昨今の日本の歌の流れに突入するにはそれが肝要と考えたせいで、彼女が岡林信康の「チューリップのアップリケ」を選曲すれば、わが意を得たり…と悪乗りした。
 ところが、ピンク・マルティーニのリーダー、トーマス・M・ローダーデールは
 「彼女は日本のバーブラ・ストライサンドだ」
 と、彼女の歌世界の完成度を評価した。国内の流行歌向けえげつなさを求めた僕は、不明を恥じなければならなくなった。アルバムは、透明感が輝く彼女の高音よりは、しっとり人肌の艶を持つ中、低音を多用して聴こえる。歌手の存在感を濃いめにするための、和洋の相違だろうか。
 別件でEMIを訪ねた1月14日夜、ばったり会った佐藤剛、山口栄光の二人と一杯やって大いに盛り上がった。佐藤はフリーのプロデューサーでこのアルバムの端緒を作った。山口は由紀の制作担当で、アルバム実現まで身を粉にして粘りぬいた。双方相当に親しいため、姓名が呼び捨て表記でごめん!
 佐藤はミュージックラボからのつき合い。最近では岡林信康の美空ひばりトリビュートアルバムや由紀の仕事をやり、昨年はしっかり調査した好著「上を向いて歩こう」を上梓、今年3月には久世光彦さんの7回忌イベントの世話人をやる。彼の発想と行動範囲の特異さを僕は「桂馬跳び」と称している。
 山口は昨年、やたらに渡米した。アルバムにおける由紀とピンク・マルティーニの、音楽家としての位置関係の調整、選曲からアレンジまでの双方の美意識のすり合わせ、それにレコーディング現場でのあれこれと、心身ともにギリギリまで頑張った気配。坂本冬美の「また君に恋してる」でひと風吹かせて、今度は由紀の成功である。
 「運がいいんですよ、僕は…」
 と、口ぶり謙虚なのへ、
 「めいっぱい仕掛けてなけりゃ運もつかめない。運も実力のうちっていうのは、そういう意味じゃないの」
 と、僕は年寄りじみたことを言う。山口は船村徹の知遇を得る一人で、心情はこてこての演歌派。しかし、詞も曲も旧態依然のままでは、ファンの支持を集めにくいと思いつめる。
 「だから魂は演歌でも、表現の容れものを変えて、40代、50代、60代を狙いたいんですよ」
 《そうか、和魂洋才は近ごろ、この世代なりにこういう型をみせるのか!》
 僕は働き盛りの男二人が、正直なところ少々眩しかった。

週刊ミュージック・リポート