新歩道橋813回

2012年7月13日更新


  
 「あんた、鼻が利くねえ、ええ勘しとるわ」
 居合わせた浪花のおばはんに褒められた。大阪・上本町6丁目界わい、飛び込んだ居酒屋〝久六〟のカウンターでのこと。見回せば地元の常連客ふうがズラリ。ビルの地下のこの店を、一見さんで選んだ当方の、年の功に感じ入ったらしいのだ。小芋やふき、たこの煮物、焼きなすにアジの南蛮漬、ポテトサラダなどの大皿が並び、親父が刺身や煮物、焼きもの、揚げものなどに腕を振るう。女将さんはおだやかに客をさばき、手伝いは二人の娘とおぼしき妙齢の美人。双方に少しずつ似ている。
 《うまくて安いのが当たり前ってか!》
 浪花おばはんの言い分に頷きながら、
 《7月はここに、ちょくちょく通いそうだ》
 が強めの予感。これもまた縁というものだろう。
 10日が初日で、僕は今年初めての舞台ぐらしに入る。新歌舞伎座の川中美幸公演「天空の夢・長崎お慶物語」(古田求作、華家三九郎演出)で、昨年3月と11月に明治座でやった芝居の再々演だ。3月は東日本大震災のあおりで休演続き。せっかく面白いものが出来たのだからと、11月に再演、これで川中が文化庁の芸術祭大衆演劇部門の大賞を受賞した。おめでたの勢いも加わっての今回…だ。
 「思い出しげいこ」ってのは、言葉の響きからして何となく小粋だ。すでに体験済みの演し物だから、往時を思い返しながらの立ちげいこ。けいこ場に入ると「やあやあ」「その節はどうも」と、役者衆の笑顔がてんから仲間うちふうになる。川中の相手役が前回の勝野洋から田村亮に戻った。3月に一緒だったのが、急拠再演の11月はスケジュールが合わず、少し残念だった分の「お帰りなさい!」は胸の裡だ。主だった二、三の役どころと若手が大分代わっているのは、関西勢に交代してのこと。それでもお互いが打ちとけるのに、さして日にちはかからない。
 これが川中一座の特色なのだが、けいこ場は笑いが絶えない親密な空気で、やるときはびしっとやる切り替えがなかなか。笑いの中心は大てい川中本人で、彼女の人柄と気遣いの細やかさが人の和を作る。そんな中で実はかなり、僕は意識過剰になっている。
 思い出しげいこの、思い出し方が曲者なのだ。11月分をなぞらずに、ああもしよう、こうもしたいの願望が千々に乱れる。空白の8カ月、折りにふれて考えていたことがグルグル回る。それなりの変化は? それなりの進歩は? と、ないものねだりが自分の中で空回りする。この道に入れてもらって6年目だが、それとても〝たかが…〟と〝されど…〟の狭間でフワフワするばかり。出来ることと出来ないことが画然としないままの日々は、じれったいったらありゃしない。
 葉山の留守宅との定時通信は午後11時30分前後。いつもながら迷惑かけっぱなしの、皆様からの留守電伝達は、時間的ズレが長めになり、急ぎのFAXは転送のため、文字が少々ぼやけて来る。そんな中に永井裕子の新曲「石見のおんな」の発表会が、8月現地で…などというのが混じっている。島根・石見銀山が世界遺産に登録されて5周年。地元の懇請で前作「石見路ひとり」に続いて二作目にトライした。喜多條忠、水森英夫、前田俊明の作詞、作曲、編曲トリオと取材に出かけて出来上がったものが7月発売になる。地元から「早く来い!」と言われたのに「7月は大阪だ!」などと胸を張って延ばした分だけ、僕は首をちぢめたりする。
 「○日に○人で行くぞ!」
 というのは、大阪まで見に来てくれる貴重な連絡。友だちというのは有難いものだとは思うが、それなりの店で盛大に一杯やろう!という注文の方が先に立つのがいつもの例だ。「よォしっ!」と当方も、妙なところに気合いが入る。「この仕事、3日やったらやめられない」という先人の言葉を、我田引水して実感する今日このごろだ。
 「知っていることと、出来ることは違う!」
 6年前にどこかで見つけた惹句を、改めて自分への戒めとしようか!

週刊ミュージック・リポート