新歩道橋814回

2012年8月1日更新


  
 川中美幸が「ありがとう」を繰り返す。佐賀・嬉野の茶畑が舞台。相手は茶を栽培する農民の世話役や組頭、それに女優陣総出の茶摘み娘たちだ。その一人々々に頭を下げ、手を合わせ、川中扮する大浦屋お慶は「ありがとう」を連呼する。日によって15回から18回、劇場が熱い思いで満たされる。7月新歌舞伎座公演「天空の夢・長崎お慶物語」(古田求脚本、華家三九郎演出)の第一幕の大詰めだ。
 安政3年、油商の老舗大浦屋の一人娘お慶は幕末の長崎で、日本茶を新商品に、出島の外国人相手の輸出業に転じようとする。激動の時代に、男尊女卑の旧弊、同業者の執拗な妨害などと戦いながら、新しい時代の新しい生き方を模索する彼女。しかし、農民たちはその商法を無謀ととらえ懐疑的になる。押し問答の末に彼らの心を動かすのは、茶の仲買人徳蔵(田村亮)との信頼関係で、それがお慶の大勝負の成功への糸口となる。川中が「ありがとう」を叫ぶには、そんないきがかりがあった。
 大浦屋お慶は初の女性実業家として名を成し、幕末の志士たちを支援したと言われる実在の人物。それを主人公にしたこの芝居は、一途な夢追い、そのための挑戦、情熱と勇気と信頼、女性の自立、人の和と感謝の大切さなどを訴える。明るくひたむきな主人公が川中にぴったりの当たり狂言。昨年11月明治座公演で文化庁芸術祭大衆芸能部門の大賞を受賞して、故郷大阪でやるいわば凱旋公演だ。
 「統領!あんたの芝居狂いも、これがピークだね」
 昨年3月の初演から、僕は歌社会のお仲間にそう言われ続けるいい役といい場面を貰っている。豪商小曽根六左衛門役に扮し、金策に来た旧知のお慶の商売の甘さを叱り、諭す長ゼリフがある。それも川中と二人きり、差しの芝居で、そのためだけの舞台装置まで用意されている一幕第4場。非を悟り号泣するお慶が、翻然立ち直って冒頭に書いた景につながる。僕は楽屋へ戻りながら、まだ小曽根のおじさんから降りきれずに、川中の「ありがとう」の回数に指を折ったりすることになる。
 《ありがたいことだ…》
 僕は日々、浮き浮きの大阪暮らしである。楽屋廊下のすれ違いで投げかけられる田村の微笑、何くれとなくいたわり励まされる土田早苗、紫とも、奈良富士子、石本興司、西川忠司、瀬田吉史らのひと言、ふた言。今公演で初めて一緒になった芦屋小雁、楽屋が相部屋の江口直彌の人あたりの良さ。東京からずっと一緒の大森うたえもん、綿引大介、小坂正道、倉田英二、中嶋秀敏らとの〝ちょっと一杯〟には、6年のつき合いでもはや弟分の小森薫もいて、それに顔なじみの深谷絵美、青山りえ、倉田みゆき、穐吉美羽…と、座長川中が作り出した人の和の中にすっぽりだ。
 「ありがとう」の思いは川中の場合、心からのものと受け取れる。「遣らずの雨」をシャンソンふうアレンジにしたり、「白梅抄」を踊り演じ、新曲の「花ぼうろ~霧氷の宿」と「うたびと」を強調する第二部のショーにも、そんな気配が濃い。軽妙なトークは大阪弁のていねい語が一転下世話にくだけたりして、客席は笑いが絶えない。
 「子供のころから人を楽しませて、楽しんでいる人たちを見るのがとても楽しかった」
 という素地が、川中を名乗って36年のキャリアで磨かれ、ふくらんで、彼女のキャラとなり、芸にもなっている。その根底にあるのは人と時とのめぐり合わせへの感謝の念なのだろう。一座に加わって6年めになるが、公私ともに彼女が不機嫌になる場面を、僕はまだ一度も見ていない。苦労人の極とも言えるだろうか。
 政情も世情も混迷と不安が長く続き、天候まできわめて不順な日々で、人心はささくれがちだが、それに溺れたり、流されたりする愚に、人々は気づきはじめている。東日本大震災が残したものと放射能の恐怖をかかえて、復旧復興は各人の共助、共生からはじめるしかない思いが深まっている。そんな時流の中でやっと見直されているのが「ありがとうの精神」だとしたら、今回の公演は実に、時宜にかなったものなのかも知れない。

週刊ミュージック・リポート