新歩道橋816回

2012年8月20日更新


  
 神前の参拝は「2礼2拍手1礼」と相場が決まっている。神社へ出かけた時以外にも、地鎮祭などいろいろな御祓いで、しょっ中これをやった。バリエーションがあるとすれば、神式の葬儀で、2拍手の音を立てない。これを「しのび手」と言うのだと、ずいぶん以前、星野哲郎に教わった。あれは彼の夫人・朱實さんを送った時だったか。
 ところが神社の大手!?である島根の出雲大社は、ちょっと様子が違った。2礼のあとの2拍手が倍の4拍手なのだ。なにしろ「古事記」以来1300年の〝神々の国しまね〟のならわしである。これこそが由緒正しい形なのか?
 8月6日、お隣りの大田市にある石見一宮物部神社へ〝はしご〟をした。隣りの席についた永井裕子に、
 「あっちは4回だったけど、こっちは2回でよさそうだぜ」
 と、知ったかぶりをする。彼女の新曲「石見のおんな」のヒット祈願で、僕はそのプロデューサー。この歌は地元石見銀山が世界遺産に登録、5周年を迎えたのを記念して作った。登録決定前後に「石見路ひとり」を作り、その後ついでみたいに、近くの漁港を舞台に「和江の舟唄」を出したから、永井には当地が〝第二の故郷〟になるほど、力強い応援を受けている。
 「それにしても…」
 と神官に2拍手と4拍手の理由を尋ねてみた。
 「ああ、あちらは縁結びの神様ですからね。〝しあわせ〟を型にしたんでしょう」
 あっさり答えた神官、それをまじまじと見る僕。
 《しあわせ、4あわせ…神事にそんなダジャレまがいが入ってるのかよ!》
 5年前の祈願の時、僕は物部神社から純銀製のお守りを貰った。「鎮魂」の2字が刻まれた格調高い細工で、僕は後生大事にずっとキイホルダーにつけている。今回もうやうやしく、それらしい小箱を貰った。これで二つめ、俺の老後の守り神だな…と思ってあけてみたら筆文字で黒々と「勝運」の二字が大書され、ひっくり返したら裏は、見事にU字型の馬蹄である。
 《染まらずに来た競馬に、これから狂ってみろという御託宣かよ!》
 僕は老後の波乱を予感した。しかし、その日暮らしの役者兼業の雑文屋に、そこまでの実入りや蓄財が、あるはずはない!
 石見銀山ソング、前作は吉岡治・四方章人・前田俊明の作詞・作曲・編曲トリオをわずらわせた。今回は喜多條忠・水森英夫・前田俊明に腕をふるってもらった。その都度、取材旅行とお披露目ショー、ヒット祈願で現地へ入る。石見銀山は昔々、世界で流通する銀の3分の1を生産、豊臣秀吉をはじめ時の権力者たちの栄耀栄華を支えたと言う。20万人もの人々が掘削に従事したそうだから、遊女の里や鉄火場もあったはずだが、今は数多くの坑道が、深い山々の間に点在するばかりで、およそ流行歌になりそうな艶っぽさは皆無。
 「島根はさ、歴史のお勉強をする場所で、歌はまたしても妄想の変物になる」
 かつて吉岡治がもらした感想を、今回は喜多條・水森が実感したことだろう。それにしても一流の歌書きたちの仕事はなかなかの仕上がりで、竹腰創一大田市長をはじめ、地元の人々との親交も、ありがたくも嬉しいものになった。
 そういうふうに地方へ出かけた時は、親睦ゴルフをやる…という、この世界の風潮は、いつごろから始まったのだろう。
 「この猛暑でも、やるのか? 言い出しっぺは誰だよ」
 などと口をとがらせながら、翌日僕らはいづも大社CCへ出かける。山陰の〝陰〟の字に、少しは涼しいかも…と思ったのが大間違い。フェーン現象とやらが猛威をふるうのにおじけづくが、キングの古川プロデューサーも含めて、全員ゴルフバックはちゃんと送り届けていて、
 「ま、午前中のハーフくらいでやめる手もある」
 とお互いの顔を見合わせる。そのくせ熱中症寸前になりながら、やっとこさプレーを完了、
 「風があるんで助かったな」
 と、みんな口だけは元気そのものだった。

週刊ミュージック・リポート