カラオケ・スナックに飛び込む。演歌歌手たちの体当たりキャンペーン。勝負曲を歌い、気に入ったらCDを買ってもらう。チリも積もれば山、切ない努力だが、必死で続けていればいつか、幸運の神様が振り向いてくれるかも知れない。そんな一縷の望みを抱いて、ネオン街を歩く歌手たちの数は多い。しかし、そんなに甘い世界ではないことも、彼や彼女たちは知っているが、ヒットへの手がかりが、当面他にはないことも判っている。
店の人の対応はおおむね冷酷だ。にべもない口調、胡散臭いものを見る視線、あられな拒絶・・・。彼らには、見ず知らずの歌手の夢に付き合う気などない。店の客は歌いに来ていて、そのために落とす金で店は成り立っている。大事な営業時間は、そんな客たちのために使われねばならない。そう考えるのが普通なのに店の主が、
「え? 本当? 嘘だろ!」
と、好奇心を示す場合もある。例外的な反応に目を細める歌手は船橋浩二。
「そうなりゃしめたものです、歌を聞いてもらえば相手は納得する。何枚かにせよ、CDがはけます」
名古屋に住み、大阪を集中的にな攻めている初老の男だ。
ヒミツは作品にある。彼が歌っているのは遠藤実作詞作曲の「雪国の女(ひと)」で、40年以上前に春日八郎がアルバムの中で歌っていた。当時から「いつかこの曲を歌いたい」と、念じ続けていたのをクラウンでレコーディングにこぎつけたのは3年前。橋渡しを僕がし、「そうまで言うなら・・・」と、当時の曷川常務が引き受けた。雪国の宿で出会った女の、はかなげな風情、いじらしさを回想する男唄。遠藤作品の特色だが、詩も曲もシンプルで全体に淀みがなく、聞けば聞くほど染みて来る魅力を持つ。
スナックの主がひっかかるのは、『遠藤実』という作家名。そんな大作家の作品を、こんなおっちゃんがCDに出来る訳がないと思うらしい。船橋は66才、五分刈りのごま塩頭にずんぐり小太りの短躯、実直者らしい愛想笑いが憎めないが、せいぜい不動産屋のおやじがいいところの風情だ。名刺には「遠藤実作品、不朽の名作」と刷込んであるが、相手が「ほんとうかね!?」と疑うのも無理はない。大体、この手のキャンペーン歌手の作品は、聞いたこともない人の作詞、作曲が多いのが相場と思い込んでいる。
「しかし、歌は心だ。見た目じゃないぞ!ってことになる訳だ」
名古屋・御園座の僕の楽屋へ、入り浸りになる船橋を、そういうふうに冷やかす。なかなかの歌巧者。よく響く中・低音、抑制の利いた高音、独自の節回しなどに〝いい味〟があり、作品の魅力を十分に伝えている。古来の演歌歌いにありがちな〝歌のどうだ顔〟がないから、前述のキャラまでが逆に生きる妙まである。
船橋と僕は、実は同期生である。昭和38年創立の日本クラウン第一回発売盤に、北島三郎、五月みどりらと並んで彼のデビュー曲「俺だって君だって」がある。10代だが筋のいい男・・・と、将来を嘱望されたのが、伝説のプロデューサー馬渕玄三の勘気に触れて、いつからか第一線から消えた。僕は同じ年にスポーツニッポン新聞の内勤記者から取材班に異動、クラウンに通い詰めた新米だったのが彼との縁。
一、二月の御園座は松平健・川中美幸ダブル座長の新機軸公演。二本の芝居「暴れん坊将軍」と「赤穂の寒桜」に二人別々のショーを見に来て、川中の歌に唸ったのが船橋。
「先生(後に頭領と呼べと変えてもらったが)だって、70才から舞台の役者になったんだから、俺もまだまだやれますよ。現役です!」
と、いやなことを引き合いに持ち出したものだ。 《有名な歌手にしろ舞台歌手にしろ、第一に必要なのはやはり作品力か!》
僕はそんなふうに合点して、2月20日長逗留の名古屋を後にした。出迎えたのは葉山の海と空、愛妻に猫の風(ふう)と言う50日ぶりの家庭。しかし、この夜が、友人田崎隆夫の父の通夜、翌21日が葬儀になった。