新歩道橋846回

2013年7月8日更新



  「銭形平次」は野村胡堂作の人気シリーズだが、その少年時代というのは、原作にはない。氷川きよしが2年前に演じた「青春編」、今年6月の「立志編」(ともに明治座)の〝少年平次〟は、脚本堀越真、演出北村文典の創作である。もちろん野村家には話を通してのことだが、この奇策!? の言い出しっぺは、亡くなった長良グループの長良じゅんさん。プログラムに「企画」として名を連ねているし、演出家の一文にもその旨が記され、哀悼の意が表されている。
 長良さんが〝少年期〟にこだわった理由は、ファン心理へのおもんばかりだろう。たいてい芝居では、主人公の恋人が登場、二人のエピソードがドラマの縦糸になる。ところが氷川平次の身辺には、恋人はおろか姉妹なども出さない。そうすることで圧倒的多数の女性ファンを安堵させ、おだやかな気分で観劇させる作戦と見える。
 一昨年の「青春編」は大空真弓、今回の「立志編」は音無美紀子が母親役で登場した。前作は平次が十手取縄を許されるまで、今作はその後の活躍ぶり・・・と、主人公が多少の成長を見せはするが、縦糸は変わらずに母一人子一人。脚本の堀越に言わせれば、狙いは「大江戸ファンタジー」で、平次は「空飛ぶピーターパン」なのだそうな。それかあらぬか、客席の女性群は、お行儀よくリラックスしている。幕開け、暗転した中の音楽にまず手拍手が揃うし、氷川の決めぜりふ、決めポーズには「待ってました・・・」とばかりの拍手がわく。共演の勝野洋、太川陽介、大信田礼子、伊東孝明らの〝出〟と〝入り〟にも拍手、曽我廼家文童の達者な芸には、ちゃんと笑いで応じるし、拍手も添える。かわら版屋の西寄ひがしは、氷川コンサートの司会でおなじみだから、クスクス笑いと拍手に親愛の情が加わる。そんな中で氷川平次は連続殺人事件を解決していくのだが、特徴の緊迫感は求められていない。要するに皆が、十分にお楽しみで、それでいいのだ。
 他方の歌づくりには、もう少し伸びちぢみがある。最近のヒット曲「しぐれの港」は、さすらい男の恋の追想ソング。石原信一の詞は踏み込み方やや控えめだが、男の苦渋をにじませる。それに水森英夫が「涙の酒」を連想させる哀切のメロディーをつけた。水森は氷川の育ての親である。当然弟子の「アイドルからスターへ」の先行きを、制作者ともども計算していよう。大きく変えないのは、氷川の歌唱。おとなびた陰影よりは、歌い放つ若さに軸足を置いている。
 公演の第二部「氷川きよしコンサート2013in明治座」にも、そんな試みは示されている。三橋美智也が歌った「古城」から彼の「白雲の城」へつなぐシーンがそのあたり。着物に袴の2ポーズで、日本の原風景とそれに託す男の意気地を歌いあげるが、この景にいるのは、明らかに〝壮年の氷川〟である。そこから一転してフィナーレは「氷川きよしのソーラン節」と「きよしのズンドコ節」 で、紫のスパンコールきらきらの燕尾服に帽子とステッキ。ロックなみの大音響の演奏に、例によって本人の大音声だから、強調されるのは今日ふうアイドルの乗りと活力だ。
 長良さんは、ごく若いころから美空ひばりと「お嬢」「きょうだい」と呼び合った親交を持つ。戦後アイドルの立ち位置と育ち方を身をもって体験していて、舞台の氷川の〝女人法度〟は、そんな体験から生まれたものと想像がつく。しかし、昨今の芸能事情とファンとのコミュニケーションは、往年とは大分様相を異にしている。歌のレパートリーのゆすぶり方もにらみ合わせながら、長良さんの禁じ手は、やがて解かれることにもなろうか。
 6月14日夜の部の明治座。僕は1階正面14列14番の席で、氷川の〝多世代対応型エンタティナー〟への目論みを見守った。左側の席は島野功緒さん91才、右側は長田暁二さん83才である。氷川とファンも結構タフだが、両先輩の長寿とタフさ加減には頭が下がった。終演後、劇場近くの行きつけの寿司克で、ちょいと一杯やる。長田さんの口癖なら、ビールで「うがいをする」一幕だが、芝居を観るにしろ演るにしろ、本当にうかうかしていられないのが実感だった。

週刊ミュージック・リポート