新歩道橋853回

2013年9月20日更新


 
 《この時期の花は、何といってもさるすべりだな》
 そんなことを考えながら、炎暑の昼を毎日歩いている。地下鉄有楽町線で池袋の隣り、要町駅そばからうねうねと続く谷端川南緑道。もともと川が流れていたところを、遊歩道にしたらしい、都内によくあるタイプだ。その一部の両側に、さるすべりが10本ほど並木を作っている。その花のぷちぷちした紅に、茨城にいた少年のころの夏を思い返したのは、途中に少年の像がいくつかあり、幼児用の木馬やブランコが点在するせいか。
 行く先は「みらい館・大明」である。廃校になった小学校だが、ヨガや絵画、詩吟などいろんなサークル活動が活発で、芝居やダンスその他のけいこ場としても活用されている。僕が通うのは2階の211号室。もともとは工作室だったという広めの部屋で、東宝現代劇75人の会のけいこが進んでいる。横澤祐一作、演出の「芝翫河岸の旦那・十号館二〇一号室始末」全11場。僕はこの会の公演に参加して、もう5年になる。
 「ごぶさたしてまして・・・」
 「お元気そうで、しかしまあ、暑いですねぇ」 などと、すっかりおなじみの先輩たちと、嬉しそうにあいさつをした顔寄せから、台本の読み合わせ。劇作家菊田一夫が創設したという由緒正しいこの劇団の、僕は新入り一兵卒だ。
 演し物は昭和40年代、東京深川の運河のほとりにある集合住宅が舞台。建った当初はモダンだったアパートが東京大空襲に遭遇、外部は残ったが内部は焼けただれたのを内装し直した。それからもう20年以上が過ぎた代物。そこの一室に流れついた5人と、それを取り巻く人々の、おかしくてやがて哀しい昭和の下町人情劇が展開される。一昨年、やはり横澤祐一作、演出でやった「水の行く方・深川物語」の姉妹編か。
 あの時の僕の役は、材木問屋の番頭・武さんで、 「ねこ背をのばさなくちゃいけませんね」
 と、僕が自分の体格を気にしたら、
 「武さんは筏乗りあがりだから、ねこ背でいいの!」
 と、横澤に教えられた。今回は何と、万引きの常習犯で保護観察中。勤め先も家庭もパアになって、そのアパートにたどり着いた中年男。役名も夏目磯八・・・というのを、貰ったから、目が白黒だ。
 台本の読み合わせは、当然セリフのやりとりが中心。もともとどんなキャラの男で、それがどんな気持ちで人々と合流し、場面々々でどんな心境にあるか・・・をセリフににじませなければならない。演出の横澤は、7年前の明治座での初舞台でお世話になり、その後昵懇・・・のお師匠さんだが、甘えてはいられない。
 「あのね、そこんところは・・・」
 と、ダメ出しの口調は優しいが、眼鏡の奥の眼は笑ってなどいないから、僕の台本には、書き込みメモが増えるばかりだ。
 今年は1、2月の2カ月間、名古屋・御園座の「松平健・川中美幸公演」に出して貰った。松平とは初対面だから大いに緊張したが、栄、錦、大須観音周辺・・・と、ネオン街での談論風発もしっかり堪能した。それ以来7カ月ぶりの舞台である。毎晩寝つきが悪いほど、わくわく気分が止まらない。電車の中でも、沢山あるセリフのあれこれが頭の中を堂々めぐりして〝移動中は睡眠〟の習性がふっとんでしまった。
 《何はともあれ、集中!集中!》
 と念じている後期高齢者の老優・僕を、仰天させたのは藤圭子の自殺。それが大騒ぎになった翌日に、彼女の育ての親・石坂まさをを送る会である。テレビや週刊誌からコメントを求められるのも、この二人と親交があったからやむを得ないか・・・と、二足のわらじの一足めに、突然軸足が変わった何日か。
 けいこのあと、連夜の反省会!? で一杯やるのが、池袋の「癒禅」という店。気のいいおやじが、我々用のメニューを考えてくれるのを尻目に、ゲラ刷りに校正の赤を入れた夜など、冒頭のさるすべりの花の望郷気分も霧散したものだ。
 今回公演は9月26日の初日が夜、27、28日が昼夜、29日の千秋楽が昼の計6回で、場所は例年通り深川江戸資料館小劇場。乞うご期待! である。

週刊ミュージック・リポート