新歩道橋864回

2013年12月27日更新


 
 頼まれれば嫌とは言えない。生まれつきの性分だが、こと歌づくりとなればなおさらのこと。「よォしッ!」とその気になると、とことん頑張るものだから、頼んだ相手が面食らったりする。最近レコーディングした谷本耕治なんかもその例で、引き受けてから仕上がりまでに2年近くの長期戦になった。
 「遊びぐせ」と「惚れたあいつは旅役者」が彼のための2曲。前者が堂忍という男の詞を採用した。昔々スポニチで「阿久悠の実戦的作詞講座」を2年も連載したことがあるが、堂はその常連応募者だった。その後も時おり詞を届けて来るのを、何も言わずに積んで置いたのから、思いついて持ち出し、勝手に手を加えてタイトルも変えた。
 もう1曲は星野哲郎の弟子の紺野あずさの詞。タイトル決め打ちで依頼したら
 「あなたのテーマソングですか?」
 と、とんちんかんな乗り方で、こちらは手直しが数回。実は谷本という青年、大衆演劇をかじった経歴を持ち、シャンソンなど歌って来たというから、お芝居仕立てが面白いかという思いつきである。どの道インディーズと呼ばれるコツコツ手売り作戦だから、面倒な編成会議などなし。判った! と、本人さえその気になればそれでいいのだ。 作曲は田尾将実、編曲は石倉重信に頼んで、その辺はスラスラ行ったのだが、それからが大変。本人に歌わせて、田尾と僕が顔を見合わせ、
 「だめだ、こりゃあ...」
 になった。上手下手というのではなく、作品のイメージにはまって来ない。彼のために作った曲なのに、彼が歌い切れない。本末転倒もいいところだが、孤軍奮戦のネタとしては、そこそこのインパクトの強さが必要なはずだ。ニヤリとして、
 「田尾、一からレッスンだ。お前がこれでよし...と合図するまで待つ。別に急ぐ旅じゃないんだしな」
 と、乱暴至極な提案で、その日から谷本青年は、せっせと田尾家へ通うことになった。こうなると頼んで来た本人も、曲を注文された田尾も、まるで被害者同然。女性マネジャーの本田さんも目を白黒させたが、事の成り行きを鵜呑みににするしかない。
 完成するまで2年...と書いたが、そんなに長くレッスンだけをした訳ではない。CDを出すなら出すでそれらしく、売ったり広めたりするための段取りも必要不可欠。谷本・本田コンビがそのための下ごしらえに、奔走した時間も含まれている。それやこれやの騒動の挙句、谷本青年のCDはめでたく来年の2月に世に出る運びになった。キャンペーンのスケジュールも次々と組まれて、売上げ目標とりあえず1万枚。全く無名の男の徒手空拳の戦いとしては、
 「そこそこじゃないか!」
 と、僕らは盛り上がっている。
 「今どき、何とノー天気な!」
 と、失笑や苦笑いをする向きもあろう。
 「道楽の歌づくり、横道にそれ過ぎじゃないの!」
 と、僕に忠告してくれる友人がいるかも知れない。そのための言い訳はすでに用意してある。
 「昔々の辣腕ディレクターたちは、みんなこんなことやっていたものさ」
 の一言。頼みごとをして振り回された本人やマネジャーも、おしまいにはその気になって、悪ノリの足並みはちゃんと揃っている。
 「自分たちが面白がらないものを、誰が面白がるか!」
 が合言葉。世の中万事、ことを起こすにはそういう熱っぽさが原動力のはずで、残る問題は、そういうふうに生まれた子(歌)に、どういう道筋を作ってやれるか...だろう。
 一足おくれて狂喜乱舞のテイなのは作詞の堂忍。いつごろ僕に渡したどういう詞かも忘れていたのが、CDになった。死んだ子が生き返ったようなもので、早速、その気になってチャンス到来! とばかり、新作をばんばん書き始めた。再会はまだだが、どこかの食堂でコックをやっていてもう60代。阿久悠との縁がこういうふうに再生するのも悪い話ではない。
 歌社会の隅っこの我楽多チームの一幕。全員が新しい年に新しい夢を、手づかみする気になっているからめでたいではないか!

週刊ミュージック・リポート