新歩道橋867回

2014年2月10日更新


 
 この年齢になって、自分自身が四つの人格に分裂するという、初めての体験をした。流行歌評判屋の僕、二月の明治座でやる赤穂藩の幹部大野九郎兵衛と医師の玄条、それに別公演でやるはずだったレコード・プロデューサー役という四人前。一月二十九日午後、田町のアーチストジャパンのけいこ場での話だ。
 粛々と進むのは「恋文・星野哲郎物語」(脚本岡本さとる、演出菅原道則)の通しげいこだ。二月五日から七日間十公演、三越劇場で上演される芝居で、なごやかな中にも緊張感の漂う雰囲気。平成二十三年の六月、名古屋御園座でやったものの再演で、当時僕は馬渕玄三氏と斎藤昇氏を足して一つにしたようなプロデューサー役で出演した。それが今回は、同じ二月の明治座、松平健・川中美幸公演とかち合って、残念ながら不参加の仕儀─。
 それなのに、明治座の衣装合わせ、楽屋づくりの後、のこのこと出ない芝居のけいこ場に出かけたのは、この公演の「アドバイザー」とクレジットされていてのこと。ま、ものがもので、僕は星野哲郎の専門家を自任していての起用だが、時折りスタッフからけいこの日程表が届くのは、
 「一度くらい、顔を出したら...」
 の意味と受け取った。プロデューサーの岡本多鶴氏や演出の菅原氏に、不義理を詫びる必要もあった。
 星野哲郎役は前回同様に辰巳琢郎。穏やかでしみじみとしたお人柄演技が、ありし日の星野を偲ばせて生き生きとしている。朱美夫人役は野村真美に代わったが、こちらも星野への愛情に満ち、内助を尽くした賢夫人ぶりは控えめに、すがすがしいたたずまいだ。この二人が若いころ、二年間に三百通も交わした恋文を軸に、昭和のよき時代の夫婦愛と、星野のサクセススートーリーが展開する。
 「どうしちゃったのよ。一緒だとばかり思っていたのに、寂しいじゃない」
 前回共演した髙汐巴がそう言い、モト冬樹、つまみ枝豆、上田祐華に振り付けのKAZOOらの笑顔に、お久しぶりのあいさつをする。劇中に流れるのが、北島三郎の「風雪ながれ旅」や小林旭の「向井の名前で出ています」美空ひばりの「浜っ子マドロス」「みだれ髪」ほか。それぞれがヒットした時期の歌声で出て来るから、相当に生々しい。
 《改めて、スター歌手たちの旬の歌声を聞くのも、実に得難い体験だな...》
 などと、往時をしのんだりするのは、僕の流行歌評判屋の部分。
 話が進み音楽が変わると「師匠」の呼び名の僕の出番が来る。一つの役を二つに分けて、若い役者さんがやると判ってはいても、ドキドキ、舞台そでにいる気分になる。まだうろ覚えに覚えているセリフをなぞったりして、まるで他人事とは思えない。
 《何をしてんの。それどころではないだろ!》 と、自分を叱れば、とたんに顔を出すのが、大野九郎兵衛と医師玄条。松平健主演の「暴れん坊将軍・夢永遠江戸恵方松」と川中美幸主演の「赤穂の寒桜・大石りくの半生」で貰った二つの役どころのセリフが、エコーがかかって頭の中で鳴るのだ。
 《それにしても...》
 と、また目前のけいこ風景に舞い戻れば、元気だったころの星野の顔が眼に浮かぶ。作詞家生活二十五周年のパーティー、直後に心筋梗塞で倒れる場面、朱美夫人に先立たれて落ち込むシーンなどは、そのころ、リアルタイムで僕は彼の傍に居た。名古屋で出演した時も、みんなが芝居をしているのに、僕だけが再現ドラマをやっているみたいだった。
 「恋文・星野哲郎物語」には、美川憲一、島津亜矢、山内惠介、水前寺清子、大月みやこ、都はるみが日替わりで出演〝えん歌蚤の市〟のシーンで星野作品のヒット曲を歌う。彼の故郷・周防大島を中心に、何度もやったあのイベントも、全部手伝った思い出がある。
 《没後何年経っても、あの人はちっとも居なくならないな》
 そんなことを考えながらの帰路、僕は一心に、二月二日初日の明治座公演へ、スイッチを切り替えたものだ。

週刊ミュージック・リポート